CITRON.

のん気で内気で移り気で。

雨のよく降るこの星では。

梅雨入りしたかと思ったら、もう「中休み」ということらしい。
朝の6時を少し過ぎた頃、自宅から最寄り駅に向かう途中、青空の中にちいさく月が見えた。ちょうどそれは、薬指の爪を切ったくらいの大きさとフォルムで、なんとなく、いいものを見つけたような気分になる。もしかしたら、今日はなにかいいことがあるかもしれない。もしくは、特にそういうことはないのかもしれない。

乗換駅の池袋の構内で、高らかに何かを歌う声が聴こえてきた。
中年、もしくは老年の男の声だ。日本語ではない。上手くもない。ただ良く通る。
つい気になってあたりを見回すが、歌っている本人を見つけることはできなかった。
ひょっとしたら、新手の構内アナウンスなのだろうか。

会社近くの公園で、小学校低学年くらいの女の子が鉄棒の練習をしている。そばにはワイシャツにスラックス姿の男性がひとり。男性の顔はこちらからは見えないが髪は真っ白だ。組み合わせとしては「孫と祖父」に見える。とはいえ、もしかしたら、髪こそ真っ白だけれど、年齢的には僕と同世代とか、下の世代ということもあり得ない話ではない。後ろ姿だけだったら、僕もおじいさんに見えるかもしれない。

今日は、わりと、というか微妙に、というか、会社に人が少ない。
お休みしている人が比較的多いような気がするし、定時内に外出してそのままノー・リターンという人もちょこちょこいる。
夕方になると、どこのグループにも空席がひとつふたつあるような状況になった。
もしかしたら、僕の知らない間に6月第2金曜日はなんたらフライデーみたいなものに認定されていたのかもしれない。一応、あとでカレンダーを確認しよう、と思う。

帰宅時、自宅最寄り駅に着いたところでぽつぽつと雨が降りはじめる。
今日は駅前のローソンで、かえるのイラストが描いてあるビールを買おうと思っていたのだが、あきらめて小走りで帰ることにする。
ローソンでしか売っていない(らしい)「僕ビール、君ビール」という名前のビールがあって、イラストも可愛いし、なんかちょっと美味いような気がするし、個人的にけっこう気に入っているのだ。今日は誕生日なので、いつも飲んでいる「ビール風のお酒」からランクアップしてもいいかな、と思ったのだが、買い物をしている数分間の間に取り返しがつかないほど雨の降り方が本格化、という可能性もなくはない。

僕は、年齢的にはけっこうな大人なのだけれど、いまだに誕生日には「おおそうか、今日は誕生日であったか。うんうん」というような、感慨というほど大げさではないものの、それに近い気持ちになる。
「お前のような要領の悪いパッとしない人間が、よく誕生日を迎えられたなあ」と、自分に対してつぶやいてみたりする。僕は子供の頃、「僕は要領が悪くてパッとしないから、30歳くらいまでしか生きられないと思う」という、不思議なまでに確固たる信念を抱いて生きていたのだ(今思うと、いわゆる中二病の派生形なのかもしれない)。

まあ、手放しで加齢を喜ぶような年齢ではないということもゆるぎない事実で、「いきいき」、「成長」というよりは、「しょぼしょぼ」、「劣化」という言葉のほうに親近感があるお年頃ではある。とはいえ、「まあなんとかなった、とりあえず」と思うのが僕にとっての誕生日なのだ。

入浴後、雨の音を聞きながら本を読む。
そろそろ眠くなってきそうな予感がある。
風呂に入った時、シャンプーと間違えてボディ・ソープを使って髪を洗ってしまったことを思い出す。なんだか異常に泡立ちがよくて面白かった。この事態が、明日の僕の髪になにか影響を与えるのだろうか。これは楽しみだ。
憂鬱そうに髪をかき上げながら、

「んもう、キシキシしちゃう」

とか、一度くらいなら言ってみたいような気がする。

今、僕のそば、その距離30センチくらいのところにくるみのパンがあり、本を読みながら、「うっすーい水割りを作って、それをちびちび飲みながらこれをかじるというのはどうだろうか」というようなことを考えている。これは、さっきつらつらと書き連ねた部分以外のタイミングで、僕の手の中に登場したものだ。会社近くの駅のいわゆる駅ナカで買えるこのパンは、地味にかなり美味い……と思う。少なくとも僕の中では大人気パンなのである。

はてさてどうしたものかな、などと思いつつ、どんどん眠くなってくる。外からは雨の音だ。
むかし読んだ小説で、「海辺にトヨタの車を停めて、その中で雨の音を聞きながら主人公が眠っていく」というラスト・シーンのものがあった。とても好きな長編小説だったのだが、なぜかタイトルが思い出せない。厚手の文庫本2冊分くらいの分量だったはずだ。

外からは雨の音だ。
どんどん眠くなってくる。