CITRON.

のん気で内気で移り気で。

ネバーエンディング・ストーリー。

母からLINEが来て、今日が弟の命日だということに気付く。忘れていたわけではなく、明日だと思っていたのだ。家族の命日を間違えて記憶しているというのもずぼらな話かもしれないが、あれからもうずいぶん長い時間が経っている。僕の脳はあまり精度が高くなさそうだから、多少の誤差が出てくるのも無理はないのかもしれない。

週末は実家に帰ることにする。
たぶん、弟の好きだったメニューを並べて食事をして、そこで母は泣いたりするのだろう。母は、全身全霊の力を込めて弟を育てていたのだ。けっこうな大きさで空いた空洞を、こんなに時間が経った今でも埋めきれないでいる。無理もないとは思う。

ひとしきり泣いた後は、恒例の思い出話大会だ。過ぎ去った過去の出来事なので、新たにネタが追加されることはない。毎回、ほとんど同じ話の繰り返しだ。

弟が亡くなる前の2カ月は、家族が交代で病院に寝泊まりをしていた。僕はもう結婚していて実家には住んでいなかったのだが、仕事が終わった後、目黒の会社から東京西部にある実家近くの病院に直行した。弟の個室のカーテンレールに、僕のスーツとワイシャツ数枚とネクタイがぶら下がっているのを見た看護師が目を丸くして驚いていた、というのは母のお気に入りのネタのひとつだ。
個室には、家族が寝るためのベッドはなかったので、当番の日はパイプ椅子に座って眠った。いつ何が起こるかわからないという状況だったから、深く眠ることはできなかった。

いつ終わるともしれない病院合宿が1ヶ月目くらいになった頃、パイプ椅子でうとうとする生活に我々家族は慣れきってしまっていた。
もしかしたら、この生活を続けていれば、この毎日は終わらないのかもしれない。たしかに体はしんどいけど、それさえがまんすれば、弟の容態はよくも悪くもならないまま、この毎日がずっと続くのかもしれない。
病院近くのラーメン屋で遅い夕食を食べながら、父が真顔でそう言ったことがあった。合宿参加メンバーとしては父の言いたいこともわからなくはなかったが、治療を断念してゆっくりと死に向かいつつある人間に、そんな奇跡のようなことが起きるはずはない。蓄積された疲れが状況判断を誤らせているのだ。
ただ僕は「そんなことはありえない」とは言えなくて、「そうだといいんだけどね」というような、肯定も否定もしないような生ぬるい答弁をして、その会話をうやむやにしてしまったのだ。

弟の葬式の日の朝、父から突然、遺族代表で挨拶を行う役割を全権委任された。「俺はもう疲れたんだ」と言われてしまえば返す言葉もなく、なんとかひねり出した言葉で挨拶をしたのだが、いまやその件についても「気持ちはわかるけど、とはいえドタキャンはないだろう」という内容で父がからかわれる鉄板ネタになっている。
ちなみに、その日の挨拶については、何を話したのかよく覚えていない。僕はこの手のことにはまったく不向きの性格で、充分に準備をしていても噛むような人間なのである。
ところが、家族の葬式という切羽詰まった局面で脳から絞り出された言葉にはなんらかの説得力があったのか、この時の挨拶はやたらと評判が良かったのだ。聞きながら涙ぐむ者もいたらしい。
残念ながら、緊張の極限状態にいた僕も、そばにいた家族も、誰ひとりその内容を記憶していない。人前で話をして評判がよかったなんてことは、僕の人生ではそうそうあることではない。誰か覚えておいてくれればよかったのに、と、いまだに悔やまれる。

病院でのヒマつぶし用に、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を持っていったのだが、あまりヒマにならなかったのでちっとも読み進めることができなかった。ようやく上巻が終わるくらいのところで病院合宿が終わり、ばたばたとあわただしくしている間に、上下巻ともどこかにいってしまった。探し出したり買い直したりする気分にはまだならない。
これはこれで、ネバーエンディング・ストーリーだ。