CITRON.

のん気で内気で移り気で。

伝説の黒ビール。

ところで僕の町では黒ビールは売っていないようなのだ。

「僕の町」というくくり方は少し大げさで、本当は自宅から最寄り駅までのコース内にある大規模スーパーひとつとコンビニふたつを確認しただけだ。とはいえ、このコース内にないと、たとえば会社の帰りなどに「あ、なんとなく黒ビール飲みたい気分」になってもそのささやかな希望は泡のようにはかなく消えてしまうことになる(ビールだけに)。

実はここ数日、「なんとなく黒ビール飲みたい気分」の真っ最中なのだ。
僕は元来、「ビールは味が薄ければ薄いほどいい」と公言しているような軟弱者で、当然のように黒ビールも苦手だったのだ。色も濃ければ味も濃い黒ビールは、とても僕なぞが太刀打ちできるものではなく、「いつの日か、本当の大人になったら飲めるようになるお酒」として心のベストテンにそっとランク・インさせていたのである。

ところがどっこい。
とある小さなきっかけがあり、「そういえば、今なら黒ビールも飲めるのでは」と思い立ち、軽い気持ちで探してみたらこのありさまだ。
なにせ苦手にしていたくらいなので、あまり自信のない記憶ではあるのだが、黒ビールって、昔はけっこうあちこちで買えたものではなかったか。
黒ビールはもちろんのこと、黒ビールと普通のビールを半々にした「ハーフ&ハーフ」という、カレーでいうと中辛みたいなポジションのやつも缶ビールとして売っていたような記憶があるのだが(くり返すけどあまり自信はない)、少なくとも僕の近所には影もカタチもないのである。

これがいわゆる「若者のビール離れ」というやつの影響なのだろうか。
「若者のビール離れ」という言葉を聞くたびに、つい、「ビールを飲まないのであれば、今の若者は何を飲んでいるのだ。……え、まさか何も飲んでないの?」などと思ってしまうような馬鹿者の僕なのだが、ここにきて「ビール離れ」という言葉がやたらとリアルに響いてきたような気がする。
以前ほどの人気がなくなってしまった今、定番以外のビールは簡単には手には入らない時代ということなのか。現役の黒ビール家飲み愛好家を知っているので、「黒ビールというものは実は僕の妄想で、実際には存在しない」という、最悪のシナリオにはなっていないはずだ。
もしかしたら、今は自治体によって黒ビールを売っていいところと許されていないところがある、とか、黒ビールを買うには許可証がいる、とか、アウトローが集う地価のうさんくさい店でしか扱っていないのでは、とか、さっきから妙な想像が止まらない。

もともと飲まなかった自分に言う資格はないのだろうが、今ここで高らかに言いたいのは、
「普通のビールだけがビールだと思うなよ」
ということだ。飲みたいときに飲みたいビールが飲めるというのが、美しい世界を構成する大事な要素なのだ。

手に入らないことがわかるとより一層欲しくなるのが人間の悪いクセというものだ。
今の僕について言えば、黒ビールへの興味は今週末発売の『ドラゴン・クエスト』最新作をはるかに超えている。
もう、こうなったら「黒ビールを口にするまで、普通のビールなぞ飲むものか」と言い切りたいところだ。
まあ、僕は普段飲んでいるのがいわゆる「第三のビール」なので、言い切ったところでおそらくそんなに不便なことにはならないのだが。

袖丈アシンメトリー。

左腕にアームバンドが装着されていないことに気づいたのは昼休みの時だ。
僕は腕の長さが標準よりやや短いようで、着るワイシャツによってはアームバンドで袖の長さを調整している。今使っているものは、細いコイル状に巻かれた金属線を輪っかにしたような形状のものである。
「落としたのだろうか」と思ってはみたものの、伸ばしたコイルが縮まろうとする原理を利用して腕に止まっているという仕組みと、普段使っている時の締めつけ具合を考えると、そう簡単には落ちないような気はする。ただ、仮に落ちたのだとしたら、それに気付かないというのはちょっと問題だ。
普段の生活の中で、アームバンドの装着感が気になるということはほとんどないとはいえ、腕を軽く締めていたものが落ちたのである。なんぼなんでも鈍感すぎるだろう。皮膚の触覚センサーか、金属の落ちた音にも気付かない聴覚センサーか、とにかくそこらへんの器官が怠惰すぎるとしか言いようがない。

思い出せる範囲で今日の行動範囲をチェックしてみたもののアームバンドは見つからなかった。ないと困るものなので見つからなければ買うしかないが、この手のアイテムは片方だけでは買えないような気がする。金額的にはそれほど大きな出費ではないもののなんとなくもったいない。

ところが、だ。
ああもったいないもったいないなどと呟きながら、うつむき気味に帰宅した僕は、リビングのテーブルにちんまりと置いてあるアームバンド(左腕担当)を発見することになる。
これはいったい、どういうことなのだ。
いや、この状況から推測すれば、アームバンドを右腕だけに装着して会社に行ってしまったのだろうということはわかる。問題はそこではなく、
「なぜ片方だけなのか」
というところにある。
アームバンドとのつきあいはそれなりに長いのだが、今回のような事例は多分はじめてだ。装着前のアームバンドはふたつそろえて所定の場所に置いてあるので、片方を装着した後にもう片方のことを忘れてしまうというのは(もちろん可能性としてはあり得なくはないが)なかなかレアなケースのような気がしてならない。

片方を装着した直後、なにかとんでもない事件が起きて、事件が解決したときにはもう片方のことをすっかり忘れてしまった、とか、今朝に限って「今日は右だけでオーケー、オーケー、問題ない」などと確信するような啓示を受けてしまったとか、色々と想像を巡らせてみるのだが、何が原因であっても、僕、もしくは僕の周囲の何かが心配なことになっているということに変わりはないようだ。
こうなるともう、何から手を付けていいのかわからない。

眠れぬ夜のために。

両手を体の脇につける「気をつけ」の姿勢のまま、うつぶせでベッドに横たわる、ということがたまにある。両足はそろえて、しかもベッドからはみ出している。
つまり、帰宅してそのまま寝室に直行し、ベッドの端に体が触れた瞬間くらいにそのまま前に倒れたような状態だ。
倒れたままの状態でベッドに横たわり、そのままの姿勢から動けない。
なにか強烈にイヤなことがあったわけでもなく、なにか強烈に困ったわけでもなく、なにか強烈に疲れたわけでもない……というか、とりあえずそういう自覚症状はない。ただなんとなく、体が動いてくれない。おそろしく雑に一言でまとめてしまうと「なんだかなあ……」という状態だ。連日の暑さにやられてしまったのか、それとも他に理由があるのか、それすらはっきりとはわからない。

頭の中では、ベッドに倒れ込みながらも神業的なすばやさでスイッチを入れたエアコンのことを気にしている。今は快適だが、もう少ししたら体の芯が冷えてきそうな予感がするのだ。いつもより設定温度が低いのだろうか。右手の近くにリモコンがあるのはわかっているから、いっそスイッチを切ってしまおうか。しかし、そうするとすぐに暑くなってくるだろう。
なにせ体を動かしたくないから、リモコンで温度を最適値に調節して、一応「切る」タイマーを設定するとか、いっそエアコンのスイッチを切って窓を開けるというような前向きな行動をする気が起きない。しぶしぶやってもいいと思うのは、右手をごそごそ動かして、手に触れたプラスチックの箱に付いている大きめのボタンを指で探すくらいのことだ。「もういっそこのまま寝てしまおうか」というような気持ちにもなったりする。

耳に刺さったイヤホンから、キリンジの『エイリアンズ』が聴こえる。
優しくて、奇妙で、不思議な曲だ。
この曲を聴くと、決まって頭の中に浮かんでくる風景がある。
昼間はどうにもパッとしない連中が、月の明るい夜中にどこかで集まっている。こっそりと、肩を寄せ合うようにしながら「僕たち、こんな有様なんだから、まあしょうがないよね」などと言い合い、月を見上げながら小さく微笑んでいる。
少し甘ったれたような、パッとしない自分に少し酔っているような、これをずっと握りしめていてはいけないのだろうけれど、たまにちょっと顔をうずめたくなるような気分だ。

まあ、ずっとこのままでいられないことはわかっているのだ。
そのうち、ベッドから足をはみ出させた飼い主を発見した犬が「それはなにかあたらしいあそびですか」などと言いながら、足の裏をべろべろしに来るだろう。
残念ながら、それに気づかずじっとしていられるほど鈍感ではないのだ。

夜明けまではまだ少し時間がある。さて、何をしよう。


キリンジ - エイリアンズ