CITRON.

のん気で内気で移り気で。

問題はほかにある。

昼休みに会社近くの商業施設の中を歩いていたときのことである。

前方から歩いてくる若い男性が、かなり大きな声で歌を歌っている。その顔色と徐々に漂ってくるにおいから、酒に酔っていることがわかる。
ちなみに歌っているのは『赤とんぼ』。年齢に似合わず渋い選曲である。酔っぱらい特有の「あかとーんーぼー……っとくらあ」というような崩した歌い方ではなく、まるでNHKの教育番組から流れてくるような調子で、真面目に、朗々と歌い上げている。屋根のある通路ということもあり、声が響いてそれなりに聞き応えのある歌唱になっている。要は無駄に上手い。

その歌声を聴きながら、一緒に歩いていた人が、顔をしかめて「昼間っから……」と言いはじめた。
こっちは朝から働いているのに、昼間から酒なんか飲みやがって……というような意味合いのコメントが発せられるのかと思い、続きの言葉を待っていると、その口からはやや予想外の言葉が飛び出してきた。

「昼間っから夕方の歌なんか歌いやがって。TPOをわきまえろってんだ」

夕やけ小やけの赤とんぼ
負われてみたのはいつの日か

……なるほど、その発想はなかった。
割と素直に感心したのであった。

たしかにそれは夏の季語。

数か所、蚊に刺された。

場所は下半身が多く、ざっと数えると五か所。
事件は眠っている間に起きたものと思われる。まったく気づかなかった。
敵ながらあっぱれというか、いい仕事しやがるというのが正直な感想だ。

いやいや。
これは、蚊のスキルが高いというよりも、僕の聴力が弱まっていて、接近に気付かないだけなのかもしれない……というかおそらくそうなのだろう。これこそまさにモスキート音なので、よく聞こえなくてもいいお年頃ではある。

「聞こえなくてもいい」という断定の仕方はちと違うのかもかもしれないが、蚊の飛行音なんて、聞こえて楽しくなる音ではないのも確かだ。
蚊が運んでくる病気もあるので、接近されることがわからないというのも困ったことなのだろうが、あの不快な音が聞こえないという条件つきなら「血ぐらい少しならわけてやるよ」みたいな、蚊に譲歩したような態度をついとってしまいそうだ。

ところで、我が家では蚊に刺されるのは僕ばかりのようで、「蚊に刺された」と訴えても「もう夏だね」などと季語のように扱われるだけなのである。他のメンバーも刺されないわけではないようなのだが回数的にはかなり少ないようで、娘などは、「だいたい年間で五か所くらい」しか刺されないらしい。つまり、僕は一晩で娘の年間記録と並んだことになる。
なんてことだ。

飲酒をすると蚊にさされやすくなる、という話を聞いたこともあるが、さすがに四六時中飲んでいるということはなく、それでいてシーズン中は四六時中蚊の脅威におびえている。飲酒の有無にかかわらず、蚊は僕の血を優先的に吸おうとしているように思えてならない。
これはひょっとすると、僕の血は蚊にとって美味、ということなのかもしれない。家族の血が100円くらいのアイスだとすれば、僕の血はハーゲンダッツ級、というくらいの差があるのではないだろうか。とはいえ、蚊の中にも「いやいや、安いほうが逆に美味い」というこだわり派もいるだろうから、そういう蚊は娘の血を狙うのだ。

【今日の仮説】
僕の血液はハーゲンダッツ級。よそよりちょっと美味いのだ。
……だからといって、「ならしょうがないか。美味いんだものな」というように割り切れるかというと、それはまた別の話ではある。

6月はいつも。

6月という月は、どうにも立場がないというか、春でも夏でもなく、じゃあ何なんだというと梅雨だったりするような、こういってはアレだが、1年を構成する12か月の中でも、比較的パッとしない月なのではないだろうか。

ちなみに6月生まれの人は、12星座占いでいうと、前半が「ふたご座」で後半が「かに座」になる。これもなかなかパッとしないというかなんというか、たとえば、ふたごではない人が「ふたご座」に任命されても感じるのは違和感だけだ。日々なるべく正直に生きたいと思っている自分の中に詐称っぽい要素があるのはいかがなものかと思うし、不満があっても星座というものは自分の力では変更できないのである。
この12星座がどのような経緯で生まれたのかよくは知らないが、運営側も「ふたご座」に加えて「ひとりっ子座」みたいな星座を用意して、「6月生まれの方は、ご自分の状況にあわせて星座を選べます」くらいの配慮をしてくれてもいいような気はする。
この星座の場合、何かの名前というような絶対値ではなく、家族の中の関係性という相対値からネーミングされているので、当初「ひとりっ子座」だった人が「妹ができました座」になったり、「幼なじみだと思っていたアイツが実は兄さんだったなんて座」になったりすることもありうるわけで、そうなったらその都度、その状況にフィットした星座名を名乗りたいところだ。名乗る星座の名前を実情にあわせているだけで、誕生日自体が変更されるわけではないので、占いの結果は「ひとりっ子」だろうが「妹ができました」だろうが同じでいい。

それにくらべると6月後半の「かに座」のほうがまだまし(「まし」という言い方もどうかとは思うが)なような気はするが、こちらの場合、問題があるとすれば「かに」自体だろう。
「あなたは「かに」です」
……突然そんなことを言われたら、喜んでいいのか悲しんでいいのか混乱しそうである。僕にとって「かに」とは美味しいものでしかないのだ。
これが「おとめ」座、「しし座」あたりだと、「おとめのように清らかな」とか「ししのように勇敢な」というように、言葉から連想されるイメージがかなり「得している」感じがするが、
「お前は「かに」だ。だからこの際、「かに」のように、な」
などと言われても、その状況を理解して今後の人生の糧にするのはかなり難しそうだ。
「いったい「かに」とはなんなんだ」
と自問自答する真面目な人もいるかもしれないが、どれだけ考えても結局のところ「かに」から出てくるプラス方向のイメージは「美味しいもの」なのではないだろうか。
まあ、そんなことを言ってしまったら、
「お前は「みずがめ」だ。だからこの際、「みずがめ」のように、な」
……という問題から目をそらすわけにはいかなくなる。なんといっても「みずがめ」は生物ですらなく容器なのだ。「みずがめ座」を名乗る人の人生にも、それなりにやっかいな問題が横たわっているような気がする。

話がそれた(とはいえいつものことだ)。
ところで、6月には祝日がない。
1年12か月の中で唯一祝日がないのである。その時点で「注目されることがほとんどない月」であることに間違いはないのだが、では注目される瞬間がまったくないかというとそうでもなく、
「ああ、もう6月だよ。もう1年も半分終わっちまうじゃねえか」
……というような、1年の計を元旦にたてた人がその途中経過を悔いるようなときに登場するのが6月だったりする。本来、その手の後悔は1年が半分終了して、後半に突入した7月にするのが正確なような気もするのだが、七夕からはじまり夏がどんどん本格的になっていく7月より、祝日もなく雨ばかりの6月が「悔いるタイミング」としてふさわしいのかもしれない。

唯一6月に関する華やかな言葉として、「ジューン・ブライド」というものがある。
ただ、残念なことにこれはわりと限られた層が一時的に目指したり憧れたりするもので、老若男女が毎年楽しみにするような性格のものではない。
「私、毎年、ジューン・ブライドになるのを楽しみにしてるんです」
……何を楽しみにするのも基本的に個人の自由だとは思うが、こういう人が近くにいたらなんとなく心配な気持ちになりそうだ。

とまあ、そういう「パッとしない」6月ではあるのだが、実は個人的にはわりと気に入っている。
もともと、地味なところでおとなしくしているのが性に合うタチということもあるが、私事で恐縮ではありますが、6月は僕の誕生月なのだ。
その月の唯一のイベントが自分の誕生日という簡素さ。それはまるで、小さなキャンドルに火を灯し、かすかに聞こえてくる雨の音を聞きながらそれを眺めて過ごすようなつつましさ……があるような気がしないでもないが、例によって得意の負け惜しみなのかもしれない。

祝われることにあまり縁のない人生を送っているので、ただその日に生きていたというだけで祝ってもらえる誕生日はかなり貴重な機会といっていい。年齢的には、加齢によるデメリットを無視できないお年頃なのだろうが、誰かに祝われるのは素直にうれしいと思う。
今年も(まあ、数は多くはないけれども)いくつかのお祝いの言葉をいただいていて、なかなかいい心持ちになっているところだ。

僕にお祝いの言葉をくれた人たち限定で、たとえば今月いっぱいだけでも、いいことが多めに起こるといいなと思う。夜空に向けて念のひとつも送っておけば、どこかの神さまが聞いてくれるだろうか。身勝手なお願いではあることは重々承知だが、そこは誕生日に免じてお許しいただきたい。

僕が祈ったくらいでいいことが起こるほど世界は単純ではないだろうけど、たとえば、自動車を運転していたら信号が全部青だったとか、よく晴れた休日に外を歩いていたら緑の多い公園でビールの野外販売をしているのを見つけてしまったとか、駅の階段をとぼとぼと上っていたら前を歩く人たちが全員ミニスカートの女の子だったとか、ちょっとしたいいことがあればいいなと心から思っているのだ。