CITRON.

のん気で内気で移り気で。

そのつぶやきは暴発対策。

会社の先輩が書いているブログが数ヶ月ぶりに更新されたのでいそいそと読んでいたところ、「Twitterだと書き切れない内容になりそうなのでブログに書いた」というようなことが書いてあり、なるほどねえ、と思ったのであった。
先輩は、日頃はTwitterで言葉を発していて、量が多そうな時はブログに書いているのか。パワフルで正義感が強い彼のことだから、熱い言葉をぼんぼんとインターネットの荒波の中に投げ込んでいるのかもしれない。

僕もTwitterのアカウントは持っている(@mido3103)のだが、今はブログの更新通知くらいにしか使っていないのだ。
日々思いつくしょうもない思いつきの中で、ブログには書きにくい、もしくは、書くほどのものではない言葉をTwitterに投げてみるのも面白いかもしれない。気分としては、ブログが「原稿用紙にかりかりと書いた言葉」で、Twitterが「メモ帳にさらさらと書いた言葉」というところだろうか。
そんなもの投げて誰が見るんだ、という話もあるが、少なくとも間違いなく僕が自分で見る。僕は自分の書いた言葉をけっこう読み返すほうなのである。
たとえばこのブログは日記ではないので、けっこうな割合で嘘が混ざっている。だから「ああ、あの時はこんなことがあったんだ」というような、年表的な読み返しには向いていないのだけれど、「あの時、何を考えていたのか」、「あの時、何をいいと思っていたのか」、「あの時、何をしようとしていたのか」くらいのことは読み取る事ができるのだ……ってまあ、書いた本人なのだから当たり前なのかもしれないが。
自分のことってけっこうわかっていないので、後からそういうことを読み取るのは意外と楽しかったりする(と思う)。
ちなみに、読み返している時に書き間違いや言い回しが気に入らないところを見つけると、何年前の文章だったとしても書き直したりするクセがあって、我ながら往生際か悪いなあと思っている。

クセと言えば、仕事中にふと思いついた言葉が「これ、もしかしたら面白いかもしれないぞ」という内容のものだったりすると、帰宅後のひとりの時間までガマンできずに、つい周囲の誰かに放り投げてしまうというはた迷惑なクセがまれに出る時があって、しまったなあ、と思うことがある。会社というのは仕事をしに行くところであって、考えた冗談を発表するところではないのである。それは重々承知しているハズなのだが、それでもたまにやらかしてしまうのだ。そういう時に放り投げられた言葉たちには「なるべく手短に、時間を取らないように」という未練がましい小細工が施されてしまい、中途半場に削ぎ落とされた力のない言葉たちが「よくわかんないけど、あの人何が言いたかったんだろう」という状況を作りがちなのだ。
そういう(主に聞かされたほうにとって)不幸な事故を未然に防ぐため、Twitterに言葉を投げ込むのは効果的かもしれないぞ。