CITRON.

のん気で内気で移り気で。

大事なことは何度でも。

「この間、たまたまネットで見たんですけど、僕が使っている目薬って、まつ毛を増やしたい女の子がとても欲しがっているものらしいですね。まつ毛増やす目薬持ってる人うらやましい、とか、副作用とかないのかな、とか書いてあって、ちょっとびっくりしたんですよ。まつ毛が増えることが副作用で、僕なんかはそれで困っているのに」

僕がそういうと、主治医(女医。ちょっと美人)は、

「そういう目的で買う人がいるみたいですね。全額自腹だとけっこう高いと思うんですけど」

と、言った後、

「転売しないでくださいね」

と、微笑んだのであった。

面白いことを言って相手が笑うとか、面白いことのきっかけになるようなことを言って相手が面白い切り返しをするとか、「笑いたい」、「笑わせたい」という意志をもって言葉を投げかける場合は、相手の反応まで含めて1セットとなる。
絵を描くとか、歌を歌うとか、料理を作るとかいうような、なんらかのものを作ったりアウトプットしたりする場合、それを見たり聞いたり食べたりしてくれる人がいたほうがいいということは多いけれど必須ではない。しかし、結果として生みだしたいものが「笑う」という状況である場合、相手の反応は必須条件となる。相手の反応があってようやく完成する、という言い方もできるかもしれない。
今回、主治医相手にそういう会話を試みたのだが、はじめてにしては上出来だったと思う。

今日の検査の結果としては、前回よりは少しはマシ、というところであった。
まあ、僕が物語の主人公であれば、今後難なくクリアできるくらいの状況である。クリアした時に、

「こ、こいつ、この状況を跳ね返してきた……だと!?」

などと、敵(誰?)の幹部に驚かれてしまうやつだ。

僕が主人公なのかそれとも名もなきその他Aなのか、それが判明するまでにはまだまだ時間がかかるのだ。ならば、このポンコツな目玉が使えているうちに、できるだけいいものばかり見るようにしたいものだ、と改めて思う。
僕にとってのいいものとは、たとえば、黄金色のビールが映える青空とか、コーヒーの染みがついた古い文庫本とか、裾をゆらす短いスカートとか、まあ、そういうものだ。
(とても大事なことなので、くりかえし書きました)