CITRON.

のん気で内気で移り気で。

美しき数十人。

会社から帰る電車の中、ふとやることがなくなった時、たとえば、目が疲れていて本を読む気が起きず、音楽でも聴こうかと思っても無線接続のヘッドフォンの電池は切れている、というような時に、とりあえず眉毛を抜いてみることにした。
僕の眉毛は無駄に元気がいい。ここ数年で長さ太さ勢い密度共に確実にグレード・アップしている。といってそれは僕が眉毛の育毛に力を入れているということではなく、病院で処方されている目薬の副作用なのである。
それだけ元気のいい眉毛なので、たまにつまんで抜いてみたりするとけっこうな収穫がある。抜く時の小さな手ごたえと抜けた時のかすかな爽快感は、やることが何も思いつかないような状況での一時的なひまつぶしにちょうどいい。ただ、やみつきになるほど面白いというほどではないので、よほどのことがない限りやることはない。

親指と人差し指の間に挟まれた一束の眉毛(いや、一束というのはおおげさか)を見てふと思い出したのだが、孫悟空西遊記のほう。野沢雅子じゃないほう。堺正章のほう)は自分の毛を抜いて、それを吹き飛ばすことで分身を作ることができたのではなかっただろうか。
今、この眉毛を吹き飛ばして、数十人の自分が目の前に現れたらイヤだなあ、と思いつつ、ではなぜイヤなのか、ということを少し考えてみる。
自分を見る、という本来あり得ない状況に対する違和感は相当なものだろう。それが数十人ともなると頭がおかしくなりそうだ。

いやしかし。
やや違う角度からこの問題を見直してみて、いわゆる素朴な疑問、というやつが生まれたのだが、「自分と同じ人間が数十人。想像するだけで頭がおかしくなりそうだ」というのは、僕の見た目がなんというか、まあ、アレだから、という可能性はないだろうか。
美男(もしくは美女)の方々は、「自分の分身が数十人」という状況をどう受け止めるのだろう。もしかしたら、意外と前向きに受け止めてしまうということはないだろうか。
「自分と同じ人間が数十人。ヘンっちゃヘンだけど、美しいからいいか」というような、僕の中には存在しないロジックでポジティブに解決するかもしれない。
自分の中の基準だけで世の中を見ていたばかりに、大事な真実を見落としてしまうこともあるだろう。もし、「あら、そういうことなら私に聞いてくれたらいいのに」という方がいらっしゃったら、僕の疑問にこっそりと答えてくれるとうれしいのだが。