CITRON.

のん気で内気で移り気で。

甘いドーナツと、偽ナイチンゲールの起こした事件について。

朝から病院に行く。
本当は昨日、予約を入れていたのである。予定通りいけば、有給休暇で捏(ねつ)造されたプレミアム・フライデーで、プレミアム感皆無の定期検診に行くはずだったのだが、それをうっかり忘れてしまった。痛恨のミスである。
金曜の朝、会社でそれを思いだし、ちょっと大変だったのだ。まずは病院に電話をして、予約を取り直さないとならない。主治医の予定が空いている一番近い日が二週間後だったので、そこに予約を入れる。
問題は目薬で、前回処方された分は二週間後までもちそうもない。といって、いつはじまるかわからない目薬なし生活へのスリルを味わう勇気もないので、仕方なく、土曜の朝から目薬だけもらいに病院に行くことにしたのだ。薬をもらうだけなら予約はいらない。  

それもこれも、検査の予約を入れていたことをうっかり忘れていたからだ。自分のズボラぶりにあきれるばかりである。

……ま、本当のことをいえば、たまった仕事が終わらなくて、木曜に「明日、予定通り休みます」と言えなかっただけのことなのだ。僕が所属している会社は休みの管理についてはかなり大らかなので、誰がいつ休みの予定を入れて、その休暇を予定通り取得したのかどうかという点について誰も気にしない。これが休日管理がしっかりした会社だと「仕事が終わらないので通院できない」などと言ったら大問題になるのではないだろうか(そういう会社にいたことがないのであくまで予想ですが)。社内緊急ミーティングが行われ、「アイツを病院に行かせるために、どうすればいいか」みたいな議論が行われるかもしれない。いやはや、そういう会社じゃなくて本当によかった。

それはそれとして、この文章の冒頭に「うっかりして病院に行くのを忘れました。てへぺろ」みたいなことをなぜ書いたのか。実は自分でもよくわからない。「仕事が忙しくて病院に行けなかったなんて書くとなんか心配な感じがしちゃうからな」というようなことを0.1秒くらい考えたような気がするが、いったい誰に心配をかけまいとしたのだろう。もしかすると家族かもしれないが、家族はこのブログを読むことはないはずだ。ブログに文章を書いていることは知っているようだが、URLまでは知らないのだ(たぶん)。
ひょっとすると、予定通り病院にいけなかった理由として、「仕事が忙しくて」よりも「うっかりして」のほうがかっこいい、という謎の美意識が働いたのかもしれない。どちらにしても原因は自分なのだが。

今回の通院で何が驚いたって、近くにあったドーナツ・ショップがなくなっていたことである。色とりどりのドーナツと、かわいい紙コップに入ったコーヒーのお店だ。店のロゴ・マークがけっこう気に入っていたので、通院の帰りに何回かドーナツを買ったことがある。できたばかりの頃はけっこうな行列店だったのだが、最近はそうでもなかったのだろうか。
それほど頻繁に利用していたわけではないので偉そうなことはいえないが、なくなるとちょっと残念にはなる。

そういえば、去年、僕が手術を受けるために入院した時、娘がここのドーナツを買ってお見舞いに来てくれたのだ。一泊の入院だったので、お見舞いなんてされると逆に恥ずかしかったりもするのだが、まあ、そういうことをしてみたかったのだろう。彼女にしてみたら家族が入院するのもお見舞いに行くのも初めての体験だ。その気持ちはわからなくもない。
病室のベッドに二人で横並びに座り、ドーナツを二つづつ食べた。
数時間前に手術した右目の奥がぼんやりと痛み、「ああ、右目の中を手術したんだなあ」と、ひどく当たり前のことをしみじみと実感した。
ドーナツはやたらと甘く、その甘さが妙に心地よかった。目の手術界においては、今回の手術はそれほどたいしたものではないらしいが、なにせこちらにとっては初めてのことだ。それなりに緊張して疲れたのだろう。疲れた時には甘いものが美味いっていうし。
ぼんやりそんなことを考えていたら、娘がティッシュを片手に何か話しかけてくる。僕の口のはじにクリームがついているので、取ってやると言うのだ。娘に口の周りをふかれるのがなんとなく恥ずかしかったので断ったのだが、娘はかたくなにふきたがる。家族の入院という非常事態を満喫している娘としては、入院している父親の世話をするという、ちょっとしたナイチンゲール気分を味わいたかったのだろう。その気持ちはわからなくもない。
無理矢理にでも口をふこうとする娘と、それを避けようとする僕の攻防は続き、ついに実力行使に出た娘をよけそこねた僕は体勢を崩し、それに引きずられるように娘も僕の上に倒れ込んだ。状況としては、ベッドの上に僕が仰向けに横たわり、その上にうつぶせの娘がおおいかぶさっていたはずだ。ちなみに僕は病院支給のパジャマ姿、娘は学校帰りのセーラー服だ。
そのタイミングで、
「どうですかー、痛みはありませんかー」
と、術後の様子を見に来た主治医が病室に入ってきた。パーティションがわりのカーテンを開けた彼は、眼前に広がる光景に目を見開き、その直後、
「すっすみませんでしたっ。まっまた後で来ますっ」
と言いながら、乱暴にカーテンを閉め、病室から出ていったのであった。足音から察すると、小走りだったと思われる。
ベッドに倒れ込んでいる中年男とセーラー服の少女、という組み合わせを、彼はどう解釈したのだろう。
僕からしてみたら、それはなんらかの理由で体勢を崩した親子にしか見えないと思うのだが、彼にはそうは見えなかったのかもしれない。
この若い主治医はやる気やら熱意のようなものを全身から発散させているような人で、基本的には好感をもっているのだが、時々、なんというか、いわゆる「天然」っぽいところを見せることがある。主治医に「天然」っぽい成分があるというのはどうなのか、と思うときもあるが、見ていて飽きないのは確かだ。
なんといっても、僕の手術をしている最中に、
「あれ、さっきまでここにあったのに、どこいっちゃったんだろう」
と言い放った男だ。
目の手術は部分麻酔なので、手術スタッフの声は聞こえるし、場合によっては会話をすることもある。
しばらく後、女性スタッフの声で、「先生、これのことですかあ?」と聞こえてきた。その声は少し遠く、手術台というよりは手術室の壁あたりから聞こえてきたように思われる。主治医は、「ああ、それそれ。そこにあったのか」と返事をしていたのだが、いったいあの時、何があったのだろう。

部分麻酔といえば。
手術中、麻酔が効いているのは処置をする右目だけになるのだが、その右目も、痛みを感じないだけで触られた感じはわかるのである。
これはなかなか面白い体験だった。右目の中を先の細い棒状のものがすーっとなでていく感じとか、何かが取り出されたり置かれたりする感じが伝わってくるのである。何かの薬品のようなものを流し込んでいる時は、右目の中から水が流れる音が聞こえてきたような気がする。
ということはどういうことかというと、眼球を切開するメスが触れる瞬間がわかる、ということだ。じゃあその瞬間のメスの刃先が見えるのかというと、それは見えない。どうも、薬品を使って瞳孔を開ききるかなんかして、「目は開いているけど明るすぎて何も見えない」という状態にしているようなのだ。まあ、この瞬間が見えるのはさすがにおっかなそうなので、見えなくてよかったと思う。
人生初の手術で、これだけの経験ができるのなら、じゅうぶん元は取ったというところだ。いや、元を取った、という表現はおかしいかもしれないが、予想以上のオマケにすっかり興奮してしまった。このオマケに陳腐なキャッチ・コピーを付けるなら、「未体験エンターテインメント」というところだ。  

  

面白い出来事があると、誰彼かまわず共有して一緒に面白がろうとするクセがあるので、ついついこんなことを書いてしまうのだが、こういう話題が苦手な方が、たまたま運悪くこの文章を見てしまった、ということももしかしたらあるかもしれない。本当に、純粋に、「おもしれえ」と思ったので、この体験をシェアしたかっただけなのだが、もし今、少し後味の悪い気分になっている方がおられたら、その分、明日はいいことがあるとかなんとか、前向きに気持ちを切り替えて、なんとかこの局面を乗り越えていただきたい。