CITRON.

のん気で内気で移り気で。

青空と奇跡のビール。

ヘッドフォンをして外出すると、頭頂部とか耳周辺とか、つまりはヘッドフォンの部品があたる部分にしんわりと汗をかく。これが「じんわり」とか「じっとり」とか「びっちゃり」になるとなかなか大変で、

い、いつのまにオレはガマン大会に出場してしまったのだ。

というような錯覚さえ起こしかねない。
「しんわり」というのはキーの打ち間違いではなく、「じんわり」一歩手前くらいの状況のことを指す。というか、指していきたいという心意気で書いてみた。

そろそろ外出時のヘッドフォンは限界なのかもしれない……と思うと、ほんのちょっとさみしい気持ちになる。暑い時期に音楽を聴くときにはイヤフォンを使えばいいというだけの話であり、イヤフォンにもそれなりの愛着を感じてはいるのだが、外出時での使用に関してはヘッドフォンを少しひいきしている。その理由はいくつかあるのだが、まずなによりイヤフォンより扱いが楽なのだ(大した理由ではないのだけれど、そのわりには書くとそこそこ長くなりそうだし、いわゆる「感想には個人差があります」というところもあるので、説明は割愛させていただきます)。

夏用のヘッドフォンがあればいいのに。

などと思いつつ、野暮用のために池袋を歩く。
思ったそばから、「夏用のヘッドフォンって何よ」という疑問が頭の中に浮かび上がる。それほどヘッドフォン業界に詳しいわけではないが、「夏用」というように季節を限定したものは聞いたことがないような気がする。
スポーツ用のイヤフォンで汗や雨に強いやつや、ヘッドフォンでも全体的に小振りのデザインで体への密着部分が少ないものはあるが、スポーツ用のイヤフォンは「イヤフォン」といっている時点で圏外だし、小振りのヘッドフォンはけっこう相性のようなものがあるので個人的には手を出さないことにしている。これは僕の持論に過ぎないのだが、小振りのヘッドフォンは大人男子の使用に適さないものがたまにあり、サイズ的にもデザイン的にも違和感があるものを装着してしまうと、どこかこう、見た目に「無理矢理はめこみました」感が出てしまうのだ。あくまで印象としてだが、「三蔵法師におしおきされている悟空」がイメージとしては近い。

もしも、「夏用」のヘッドフォンというものがあったとしたら、それはどういうものなのだろう。歩きながらふと考える。

・装着するとひんやりする。
・装着すると冷やし中華の香りがする。

……というアイデアが浮かんだのだが、「冷やし中華の香り」は夏っぽくはあるもののこの問題の根本的な解決策になるかどうか疑問ではある。暑さをしのぐより先にお腹が空きそうだ。
「ひんやり」のほうは技術的には充分いけそうな気がするが、そのための仕掛けやバッテリーの重さがネックになりそうだ。悪くないアイデアのような気はするが、実用化は難しいかもしれない。

と、そこまで考えたとき、僕は思わず立ち止まった。名案を思いついたのである。新たな仕掛けもいらず、安価に実現できる「ひんやり」感。それはつまりこういうことだ。

とてもこわい怪談が聞こえてくるというのはどうだろう。ヘッドフォンなんだし。

外部から直接冷やすのではなく、内部から心理的に冷やすのだ。わざわざ怪談の音声データを内蔵した専用ヘッドフォンを作るまでもなく、音声データをお手持ちのiPhoneなりウォークマンなりに転送すれば、既存のヘッドフォンがそのまま使えるという手軽さもいい。

一瞬、ものすごく画期的なことを思いついたような気になったのだが、その直後、これではそもそも何のためにヘッドフォンをしているのかわからなくなるという致命的な問題に気付く。まさに本末転倒だ。まったくもって浅はかにもほどがある。池袋の路上で「エウレカ!」とか叫んでなかったのが不幸中の幸いだ。

こういうどうしようもないことをつい考えてしまうのも、きっと、夏の暑さにやられちまったからなのだろう。
……と、とりあえず季節のせいにしようと思ったのだが今はまだ5月だ。それも上旬。ゴールデン・ウィークというやつだ。

ふらふらと歩いていたら大きな公園にちょっとした人だかりを発見する。近づいてみると、オクトーバー・フェストであった。
オクトーバー・フェストとは、乱暴に説明すればドイツ・ビール好きの連中が昼間からビールを飲むイベントだ。正確な説明ではないかもしれないが、これくらいの説明でも赤点は取らないはずだ。
連中のカレンダーでは冬以外はすべて10月なので、

いや、オクトーバーってアナタ、まだ5月ではないですか。

などといってはいけない。実際調べてみると、春から秋まで日本全国どこかしらでオクトーバー・フェストは開催されている。

ここで会ったのも何かの縁ということで、一杯だけ参加する。ここだけの話だが、オクトーバー・フェストのビールはけっこう高いのだ。それなりにプレミアムなドイツ・ビールなのだろうから、それについて不満はないのだが、一杯1200円~というのは覚悟のいる価格だ。

いわゆる「ぼっち」での参加ではあったが、だからといってビールの味が変わるわけでもなく、ヘッドフォンからお気に入りの音楽は流れてくるし、繁華街の建物群をしみじみと眺めながらビールを飲むのもちょっと新鮮だったし、なかなか快適なひとときだったように思う。
とはいえ客観的に見れば「会場の隅でこっそりと、背中を丸めた中年男性が一人でビールを飲んでいる」という、なにやらかわいそうな光景に見えている可能性は高いので、誰にでもオススメできるものではないかもしれない。

大昔に観た映画で、加瀬亮が砂浜で瓶ビールをごくごく飲むシーンがあって、そんなに冷たそうなビールでもなかったのに、あれはえらく美味そうだった。
あれはなんて映画だったっけなあ。

……というようなことをぼんやりと考えながらビールを飲む。なぜそんなことを思い出したのかというと、飲んでいるビールがそれほど冷たくなかったからだ。しかし気温もそれなりに高いからか、不思議なくらい美味く飲める。

気温と湿度と風の強さと日差しの具合が奇跡的にマッチすると、青空の下で飲むビールは体がとろけるほど美味い。
これは大げさな話でもなんでもなく、実体験として僕は知っている。大昔、偶然そういうタイミングに居合わせたことがあるのだ。あれは夜勤明けの朝で、飲んだのは正確にいえば発泡酒だった。あの数時間は、それはもう、どう説明していいのかわからないような体験で、それ以前にも以後にも、あんなに美味くビール(いや、発泡酒なんだけど)を飲んだことはないように思う。
その時の奇跡的ビール(いや、発泡酒なんだけど)体験が忘れられず、それ以来、チャンスがあると、ついつい青空の下のビールにチャレンジしてしまうクセがついてしまった。
そういう意味では、今日は残念ながら少し気温が高すぎたようだ。
まあ、なかなか叶わないからこそ、奇跡なのだろう。

池袋を歩いていたらオクトーバー・フェストに遭遇。一人だったけど、あおぞらの下のビールの魅力に勝てず参加。#池袋オクトーバーフェスト #池袋 #オクトーバーフェスト #池袋西口公園 #ぼっち #しかしオクトーバーってどういう意味だったっけ。

負け惜しみWinner。

朝の通勤電車がやけに空いていて、そこでようやく、先週、朝の情報番組でキャスターのお姉さんが言っていた謎の呪文のような言葉の意味がわかった。
お姉さんはたしか、

「サイダイキューレンキューニナルカタモ」

と言っていたのだが、これはつまり、

「最大9連休になる方も」

と言っていたのか。

今日と明日を休暇にできれば、先週土曜からの9連休になる。カレンダーを確認してみると、理論上は可能なようだ。
しかしそれはあくまで机上の空論。研究室から外に出たことがないような学者たちの頭の中にしかない砂上の楼閣のようなものだとされてきた。……少なくとも僕の周囲では。
「地球上の人たちが皆同時に武器を捨てたなら、戦争はなくなるだろう」というような言葉と同じくらい、理想的ではあるけどただそれだけのこと、という類のものだったはずなのである。……少なくとも僕の周囲では。

ところがどうだ。この電車の空きっぷりは。
まあ、車内がガラガラというほど空いているわけではないが、座れずに立っている人の数がいつもよりかなり少ないのは確かだ。
「この日とこの日に休めたら大型連休」などという仮説が、いつの間にか世の中ではけっこう実用化されていたということか。どうやら、部屋から外に出ることを怠っていたのは僕たちのほうだったようだ。
ひょっとしたら、個人的には「もうすでに死語なのでは」と思っているプレミアム・フライデーも、けっこう浸透しているのかもしれない。

まあ、休める人はおおいに休み、大型連休を堪能していただきたい。こちらは、その分空いた駅のホームや電車内で、快適な通勤をおおいに楽しむとしよう。
我々の休暇は中型連休だが、快適な通勤の価値は高い。
今日明日休んで大型連休の人と、休めないけど快適通勤プラス中型連休の我々の関係はWIN WINといっていいだろう。WIN WINなんて言い回しを使うのは初めてなので、使い方があっているのかまったく自信がないが、肝心なことは、これは負け惜しみではないということだ。
負け惜しみではないものの、冷静に考えると、WIN WINはやや言い過ぎかもしれない。もしかすると、実際はWIN winくらいのような気もしないでもない。もちろん、右のwinが我々だ。

……別にすんごい忙しいわけでもないんだから、休もうと思えば休めるんだろうけど、なかなかそうはいかないんですよねえ……。

メガネ! メガネ!! メガネ!!!

メガネを常用し、コーヒーを常飲する者として、ちょっと聞き捨てならない名前のお店が、僕の住む町から近からず遠からず、といった距離感のところにある。

その名を、メガネコーヒーという。一応書いておくと、コーヒー屋だ。以前、ネットの海のどこかで偶然見かけたテイクアウト用の紙コップが大変いい感じで、ちょっと気になっていたのである。
その紙コップには、白地にメガネのイラストが描いてあり、その下に、カタカナで「メガネコーヒー。」と添えられている。
こんな説明ではなにがどう「いい感じ」なのかまったく伝わらないが、ごくシンプルなそのカップについて語るときに、ごちゃごちゃと過剰に言葉を費やすのもなにか違うような気がして……というのはもちろん言い訳で、本心では「ああんなんて書けばこの面白味が伝わるんだよう」と思っているのは間違いない。そして、そういう自分の心情を吐露するヒマがあったらカップの説明に言葉を使ったらどうだ、と思ったりもしている。こういうのんきな雑文を書くというだけでも、人間というものはけっこういろいろなことを考えるものなのだ。

白いカップのまんなかへんに、必要最小限の線で描かれたメガネ。ふたつのレンズ部分と、それをつなぐ部分しか描かれていない。そしてその下に、カタカナで「メガネコーヒー。」という文字。メガネとコーヒーという、若干の違和感があるものを臆面もなく並べ、挙げ句、アルファベットではなくカタカナで臆面もなく名乗る。その臆面のなさに、「ふふっ」と笑ってしまうようなユーモアがある……ような気がする(感想には個人差があります)。

とはいえ、コーヒーと関連がなさそうな単語を組み合わせればなんでも面白くなるのかというとそうでもないようで、
「チューリップコーヒー」
「三毛猫コーヒー」
……と、思いつきで考えてみたコーヒー屋の名前は、「メガネコーヒー」ほどの面白味はないような気がする。というかむしろそういう名前のお店がどこかにありそうな気になってくる(重ねて断っておくが、感想には個人差があります)。

こういうことを考えはじめるとどんどん楽しくなってしまうのだが、今回はそういうことをいいたいわけではない。

僕の住む町から近からず遠からず、といった距離感のところに、メガネコーヒーというコーヒー屋があるのだ。
この、近からず遠からず、というところがやっかいで、電車をみっつも乗らないといけないし、現地までの移動時間は1時間半もかかる。そこはとある私鉄の小さな駅の近くで、駅名自体はなんとなく知っているような気はするものの、そのコーヒー屋以外に行きたいところは特にない。何かの手違い(混んでて入れなかったとか、臨時休業とか)があったら、肩を落としてそのまま直帰するしかないのである。
コーヒーを一杯飲むために……と思うと腰が重くなるというかなんというか、要は興味はあるけどちょっと面倒くさかったのだ。
ということで、「メガネコーヒー」問題は、

なにか、ついでがあったら行ってみよう。

……と、ここ数ヶ月、自分の中で保留にしていた案件だったのである。

ところが。
この問題について、今日、久々に脳内会議で取り上げてみたのだ。
きっかけのようなものは特にない。なんとなく、ちょっと思い出したというだけのことだ。
しかし、今日の会議は紛糾した。
このままでは保留状態が延々と続きそうな当案件を、ずっと頭の片隅に抱えているのに飽きたのかもしれない。ただでさえ少ない記憶領域の片隅に、解決のメドがたたない問題を置いておくのももったいない。行くのか行かないのか、どちらにしてもハッキリさせるのもこの際悪くない。

これまでの人生を振り返り、今後の人生を予測してみても、この町に「ついで」の用事が発生するとはちょっと考えにくい。また、1時間半という移動時間も、よく考えてみれば毎日の通勤時間とだいたい同じだ。

オレは、1時間半かけて会社には行くくせに、同じ時間をかけてコーヒーを飲みには行けないのか。

いやしかし、たった数十分、コーヒー飲むだけだからねえ。電車賃考えたら、一杯いくらのコーヒーになると思ってるの。

……などと、ぐだぐだと会議を続けていたら、例の紙コップが、

「仕事とアタシと、どっちが大事なの! 今ここではっきり言って頂戴!!」

……と、涙ぐみながら会議室に乱入してきた。
防水加工されているとはいえ、紙素材の彼女(彼女?)に余分な水分は禁物だ。彼女のためにもなるべくはやく方針を決めたいところだ。
その他諸々、白熱した議論の結果、結論が出た。

じゃあ、行ってみるか。コーヒーだけ飲みに。

ということになったのだ。
この結論に至る決め手がなんだったのか、今となっては思い出せない。これもまあ、今日の陽気にそそのかされちまったということなのかもしれない。

道に迷ってたどり着けなかったとか、苦労してたどりついてみたはいいけどコーヒーが劇的に不味かったというような残念な結末になったとしても、それはそれで話のタネだ。ふと、昔読んだ本に、「転んでも、タダでは起きぬ私小説」というような言葉が書いてあったことを思い出した。『Papa told me.』で知世ちゃんが言ってたんだっけか。

たどり着いたそこは、長いカウンターと、いくつかの小さなテーブルがある、小さな店であった。カウンターの端の席がひとつあいていて、そこに座る。午後の、いってみれば中途半端な時間帯なのに満席だ。定員が10人ちょっとということもあるのだろうけど、人気のある店なのかもしれない。
座ってみると、カウンターは正面に奥行きがあり、隣のお客さんとの距離もそれほど近くない。そもそも店長らしき人(ちなみにメガネ着用)が一人で切り盛りしていて一カ所にじっとしていないこともあり、カウンター席で時々ある「店員との距離感が近くてなんだか無駄に緊張する」ということはなさそうだ。
店内をじろじろと観察していると、店長が小さなクリップボードを持ってくる。白い紙がはさまっていて、それがメニューらしい。頼むものはコーヒーに決めているのだが、一応ちらりと目を通す。
この店は、店内でコーヒーを飲むときに紙コップで出してくれるのだろうか。ブルーボトル・コーヒーのように、コーヒー・カップか紙コップか選ばせてくれるのが理想だが、店内ではコーヒー・カップで出してくれる店だったとしても、お願いしたら紙コップにしてもらえるだろうか。
視線をメニューに落としたまま、そんなようなことを考え、僕は店長にこう告げた。

「コーヒー・ハイボールください」

そのオーダーの内容にびっくりしたのは、店内では僕だけだっただろう。別に牛丼や麻婆豆腐をオーダーしたわけではない。メニューに載っているものをオーダーしただけなのだ。そういう意味ではまったく問題はない。

思わぬ事態にあわてていたのは、僕の脳内会議室にいたメンバーだ。メンバーたちは口々に言う。

何を言ってるんだ、ここはコーヒーにしないとダメじゃないか。
いったい何のためにここまで来たと思ってるんだ。こいつはひょっとすると馬鹿なのか。

議長がひときわ大きな声で叫ぶ。

「どうしてこいつは、こんなにもハイボールという言葉に弱いんだ!」

ちなみに、コーヒー・ハイボールは悪くなかった。
コーヒー風味のハイボール……と言ってしまうとミもフタもないが、ほんのりと甘みもあり飲みやすい。
つい、もうちょっとお酒が濃くて、ミックス・ナッツなんかがちょっぴりついてきたらなあ、などと思ってしまったのだが、ナッツ片手にちびちび飲むようなお酒ではないのだろう。

店を出るタイミングで、テイクアウト用のコーヒーをオーダーする。
レジ近くには、いくつかグッズのようなものが置いてあった。ちなみにコーヒー豆は100グラム950円。個人的にはちょっと勇気がいる価格だ。
面白いと思ったのが、メガネふきである。
コーヒー屋のグッズにメガネふき。
驚くほど違和感がない。なぜならここは、メガネコーヒーだからだ。
ちなみにこちらは一枚300円。

駅までの道を、コーヒーをちびちび飲みながら歩く。
コーヒーは、苦くないほうで美味しいほうのやつだ(なんなんだこの語彙力のなさは)。
そういえば。
数か月に一度、検査のために通っている病院が、今日の行程でいうと、ふたつめの駅の近くなのだ。病院に行くついでに、ちょっと足を延ばしてみてもいいかもしれない。

僕は、なにかに慣れるということに時間がかかるタイプなのである。
今日だって、居心地は悪くなかったとは思うものの、初めて行った場所が生み出すドキドキ感が先行して、お店の隅々まで満喫したとは言い難い。
ただ、ぼんやりとハイボールを飲みながら、「また来てみてもいいかもなあ」とは思った。その理由は、まだうまく言葉にはならないのだが。
なので、そう遠くない未来に、また来ることにした(ちょっと遠いけど)。
そのときは、メガネふきも買ってみようかな。