CITRON.

のん気で内気で移り気で。

週末ウィークエンド。

ちょっとした理由があって、昔やっていたブログを読み返していたところ、ある記事のタイトルに『運命はディスティニー』と書いてあって思わず笑ってしまった。これが本当の「自演乙」というやつかもしれない。過去に自分が書いたもので笑ってどうする。

しかし、この『運命はディスティニー』というタイトルの意味のなさはなかなかのものだ。その上、本文を読んでみるとわかるのだが、タイトルと本文が連動しているように思えないのである。なんでこういうタイトルにしたのか、本文を読んでもわからない。これもある意味すごい。
きっと、一見関連していないタイトルと本文が、どこかでリンクするような予定で書き始めたものの、書き終わる頃にはその構想のことなど忘れてしまったのだろう。彼ならやりかねないことだ。いや、僕なのだが。

ということで、今回のタイトルは、条件反射的に『週末ウィークエンド』にしてみた。動機としてはやや特殊かもしれないが、これをきっかけに、マンネリ化した引きこもり気味週末生活を見直してみるのも悪くないかもしれない。……まあ、土曜日にこんなことを書いている時点で、手遅れといえば手遅れなのだが。

僕は自他ともに認めるインドア派なのだが、外を歩くこと自体はわりと好きなのである。ただ、「ここに行きたい」という明確な目的もなくダラダラと歩くことが多く、いざ、「週末どこ行こう」というようなことを考えてみても何も出てこなかったりする。ヘッドフォンで音楽を聴きながら、ぼんやりと考え事(95%くらいはくだらないことを考えているだけなのだが)をしながら歩き(もしくは電車に乗り)、帰りたくなったら帰る。そういう意味では、目的地に着かないこともままあったりする。

突発的に「今すぐここに行きたい」という気持ちに駆られ、わざわざ自転車で遠い町の図書館に行ってみたり、電車を乗り継いでコーヒー屋のハシゴをしてみたり、湘南あたりの海を見ながら「海のバッカやろー」などと叫んだり……はせず、「なぜこんなシーズン違いのタイミングで海?」などと自問自動しつつ、突然運行リズムを変えてきた波に襲われスニーカーをがっぽがぽにされたりすることはあるのだが、なにせ突発的な行動なので継続性がない。
このへんのことをうまく整理して、計画的に行動できるようになれば、「趣味は○○散策です」とか「趣味は○○めぐりです」とか「趣味は聖地巡礼です」とか「趣味はお遍路参りです」とか言えるようになるのかもしれない。

僕は自他ともに認めるインドア派なのだが、外を歩くこと自体はわりと好きなのである。
特に、すっきりと晴れた青い空が頭上に見えたりしていて、それでいて暑くもなく寒くもなく……というような陽気になると、ふと「歩くか、とりあえず」という気持ちになったりする。
この陽気にそそのかされちまっているとしかいいようがない。

ところで。
僕が住むマンション正面の道路は坂道になっている。マンションの建物を背中にすると、右から左へ上がる坂だ。
今朝、ゴミを捨てようとマンションから出ようとしたときのこと。
僕の視界の右端に、散歩中と思われるシェパードとその飼い主が入ってきた。ゆっくりと坂を上る一匹とひとりである。まあ、それだけだったら、珍しくもなんともない、ありふれた休日の朝の風景だ。
ただ、このコンビはちょっとだけ「ありふれた」からズレていた。
まず飼い主だが、坂を後ろ向きに上っているのである。ゆっくりと、一歩一歩踏みしめるように歩いている。もしかしたら、僕が知らないだけで、世の中にはそういう健康法があるのかもしれない。
シェパードはシェパードで、突然そばのマンションから現れたゴミ袋をもった寝ぐせ男(僕ですね)に興味津々らしく、首をきれいに90度左に向け、つまり、歩きながらその視線は僕しか見ていない。真横を向いたまま、飼い主と歩調をあわせて坂を上っている。
つまり、

「誰も正しい方向を向いていないコンビが坂を黙々と上がっている」

という状況を数十秒、見続けることになったのだ。まだはやい時間帯だったので、周囲に人影はなく、独占見放題である。
正直な感想として、「実にいいものを見た」と思った。
こういう、地味で人にはうまく説明できないけど、思い出すたびに「ふふふ」と笑ってしまうようなネタは大好物なのである(とはいえ、このエピソードを飲み会等で披露しても、その面白さは絶対にうまく伝わらないだろう。賭けてもいい)。

休日の過ごし方について、珍しく前向きに考えてみる気になったのは、これも原因なのだ。

休日のスタート時点で、こんないいものを見れるなんて。
この週末は、なにか素敵なことがあるのかもしれない。