CITRON.

のん気で内気で移り気で。

バカバカしさに忠誠を。

10月に行われるコーネリアスのライブの抽選に当たったのをいいことに、9月に池上本門寺で行われるフェスの抽選にも応募した。
コーネリアスにしろフェスにしろ抽選に当たったところでそこで手に入れることができるのは購入権だ。お金を払わなければ、チケットは手に入らない。当たり前か。

なんとなく、今年は忙しくしたいなあ、と思う。
そう思った理由はよくわからない。基本的にだらだらとしたインドア派として生きている僕ではあるのだが、たまにはそういう気分になることもあるらしい。

忙しく何かをすることの効能は、それに集中することで「余分なこと」を考える時間を減らせることだ。僕は元来考え事ばかりしていて、その大半が「しょうもないこと」に類するものだ。できればなるべく「しょうもないこと」ばかりを考えて生きていたいというような、ある意味でだめな人ともいえるかもしれない。
ただ、生きていくための必須事項が「余分なこと」に含まれていることはわりと多く、その反対に、我が愛する「しょうもないこと」は生きていくという観点からいうとあまり役立つものはない(感想には個人差があります)。

たとえば、ライブを観に行ったり、汗をダラダラ流して散歩をすると、そういう行動に思考能力が取られてしまい、考え事に割かれる脳の領域が狭くなる。その限られた領域で、「余分なこと」が侵入する隙を与えずに「しょうもないこと」を考え続ける。
役に立たないけど面白そうなことを大事にしてしまうという価値観は、僕の人生の中のどの部分で培われたのだろうか。親からの遺伝なのか、それとも後天的なものなのか。どちらにしても、僕のこれまでの生き方や、生きてきた環境も大きく関与しているはずだ。そして、確実にいえそうなのは、それ、つまり「しょうもないこと」を考えるということが、僕にとっては、とても大切なものらしいということだ。

ってまあ、数か月に一度、イベントを観に行くくらいで「忙しくしたい」もなにもあったものではないのだが。