CITRON.

のん気で内気で移り気で。

アメリカン・ドッグ、ジャパニーズ・ガール。

いつもより少し遅い電車で帰る。
この時間帯だと、熟帰りの娘と同じくらいのタイミングで自宅最寄り駅に着くかもしれない。
……みたいなことをぼんやりと考えていたら、本当に娘と遭遇した。改札を出てすぐの踏切が上がるのを待ちながら、誰かに電話をしている。たまたま同じ電車に乗っていたということと、駅から降りる人々の中からたまたま見つけられたということを考えるとそこそこレアな出会いのような気はするが、それほどびっくりはしなかった。あ、いた、というくらいのものだ。
娘もこちらに気付き、空いている方の手をこちらに向けてひらひらと振る。僕が娘の元にたどり着いた時にちょうど電話は終わり、携帯電話を鞄にしまいながら、母親に塾が終わったという連絡をしていた、というようなことを言う。おそらくそういう連絡はもっと手前の段階、例えば塾を出た直後とかにしたほうがよかったんじゃなかろうかと思ったのでその旨を伝えると、「まあ、こういう日もあるさ」という返答。そう言われてしまっては、「まあねえ」としか言いようがない。良くも悪くもそれはもう過去の話なのだ。

駅から歩き始めてすぐ、娘が小声で吠えはじめた。内訳は、「腹が減った」が10回、「マジ卍」が10回といったところだ。大変うるさいのだが、まあ、すぐに腹が空くお年頃なのだろう。ちょうどよくファミリーマートがあったのでアメリカン・ドッグ、我が家の言い方でいうところのアメDを1本買う。ちなみに、ここのアメDは当たり付きだ(当たったことはないけれど)。
夜道をとぼとぼと歩きながら、アメDを半分づつ食べる。
残りが少しになったところで娘が「食べきっていい?」と聞いてくる。僕と娘の間では、これは「串にちょっとだけついている固くなった衣部分を食べちゃっていい?」という意味になり、これが許されるということはアメDを食べる際の最大の特典を享受するということになる。固くなった衣部分はアメDにおいて最高に美味いところで、最高に美味いところはほんの少ししかないものなのだ。
僕は大人なので快く「アメDを食べきる権利」を娘に譲ってやる。娘は子リスのようにかりこりとその「最高に美味いところ」を食べはじめる……というような書き方ができれば可愛らしいのだが、実際の姿は「数日間ご飯を食べていなかった人ががっついている」ようにしか見えない。擬音で表すと「かりこり」ではなく「がつがつ」だ。

アメDが入っていた紙袋に食べ終わった串とケチャップとマスタードが詰まったパックを入れ、マンションの玄関にある共同のゴミ箱に捨てる。娘はアメDにはなにもつけない。

自宅のドアを開けるとき、娘がしまった、という顔をした。その顔を見て、僕もあることに気付く。
アメDが当たっているかどうか、確認するのを忘れてしまったのだ。
もしかしたら、当たっていたかもしれない。