CITRON.

のん気で内気で移り気で。

ついでに漱石。

午前中に外出する用事があったので、ついでの散歩のつもりで雑司ヶ谷霊園に寄り道をした。ここには夏目漱石の墓があるのだ。
池袋駅から明治通り沿いを目白に向かって歩く。そこそこ歩いて「おいおい、このままじゃ目白駅に着いちまうぜ」と思ったあたりで路地に入り、まわりの雰囲気と線香の匂いを頼りに霊園を目指す。ここに来るのは3回目で、毎回、よくこんないい加減なやり方でたどり着けるものだと思うのだが、なんとなく着いてしまうのが不思議だ。もちろん、最短距離で効率のよいコースからはほど遠い、遠回りし放題の行軍にはなる。
夏目漱石の墓はとても大きい。
おまけに変わったデザインなのでけっこう目立つ。
だからなのかもしれないが、霊園の中を歩いているといつもなんとなくこの墓にたどり着いてしまう。
目印として考えると便利なのだが、個人的な感想を言えば、大きすぎるんじゃないかなあ、と思う。

昨日から夏目漱石を読み始めたのだ。
それについて特筆すべき理由はなく、今読んでいる最中の本が大変長く、その内容も作家とファンのメールのやりとり集というもので、しみじみ面白く読んではいるものの少し飽きてきたのである。
そこで気分転換に選ばれたのが夏目漱石というわけなのだが、これは単に同じ電子書籍端末に入っていたからというだけで、それ以上の意味はない。

ただ、「夏目漱石読もう」と思ってからむくむくと興味が湧いてきたことがあって、それはつまり、誰もが知っている国民的作家であるところの夏目漱石を、僕はどこまで読んでいるんだっけ、ということだ。
前期3部作、後期3部作くらいは読んでいるような気になっているのだが、それぞれの作品名と内容が説明できるかというとまったく自信がない。学生時代に教科書に載っているものを読んで、全部読んだ気になっているだけのような気もしてきた。「先生」、「ストレイシープ」、「親譲りの無鉄砲」といった言葉はどの作品で出てきたんだっけ? 『吾輩は猫である』の最初と最後のシーンはよく覚えているが、それ以外にどんなシーンがあったっけ?

夏目漱石の言葉づかいが好きで、とても熱心なファンとは言えないものの、数年に一度くらいのペースで手に取ったりはしているのだ。この機会にまとめ読みして、今までふわふわしていた夏目漱石と僕との関係をハッキリさせるのも面白いような気がする。大げさにいえば、夏目漱石とは僕にとって何なのかを探るための読書だ。
……かなり大げさではあるが、こういうことを考えるとわくわくしてくるのは確かだ。はたして僕は、どれだけ夏目漱石のことを知らないのだろう。まとめ読みが終わった後「実はほとんど知らなかったのだな」などと思っているような気がする。

せっかくここまで来たんだから、ということで、墓石に軽く会釈をして、「まずは「猫」から読み始めようと思います」とつぶやいておいた。
地面の下で静かに眠る夏目漱石にしてみたら、あまり興味のない報告だろうなと思う。