CITRON.

のん気で内気で移り気で。

あなたは文庫本。

会社からの帰り道、つくみずの『少女終末旅行』の最終巻を買う。
帰宅したら早々に寝る準備を整え、風邪薬をのみ、うっすーいお酒で体を温めながら、眠たくなるまで映画を観ることにする。ちなみにその映画とは、ジム・ジャームッシュの『パターソン』で、火曜日にAmazonから届いたものだ。あくまで個人的な感想だが、ジム・ジャームッシュの映画は、どこから観始めてもどこで観終えてもいい。「ここまで観てしまうと先が気になって気になって、とてもじゃないけどストップ・ボタンを押すことができない」ということがあまりない。緊張感なく、のんびりと、たらたらと楽しむことができる。そこがとても好きなところで、個人的には、この監督と「相性がいい」のだと思っている。
眠たくなったところでBlu-rayを止め、ベッドの中で『少女終末旅行』をめくりながら寝てしまう、というのが本日の作戦だ。いや、作戦などというほどのものではないのだが。

今年の夏には森見登美彦の『ペンギン・ハイウェイ』が映画化されるらしいとか、来月には『よつばと!』、『ダンジョン飯』の最新刊が発売されるらしいとか、このところ、気になる物語が映像やマンガに偏りつつある。それはおそらく、目が弱っていることで小さい字を大量に読むのが難しくなってきたからだ。

ところで僕は文庫本のサイズ感が好きなのだ。
もちろん、ハードカバーに較べるとお値段が安いというのが魅力の大前提ではあるのだが、文庫本の「面白いものを、このサイズにギュッと詰め込みました」というたたずまいはとても愛らしい。元来、小さくて賢そうなものに興味を抱くタイプなのである。

まあ、いくらラブリーでも読むのが困難になったものは仕方がない。読む本のサイズを大きくするとか、電子書籍端末を活用するとかして読書環境を改善していきたいところだ。まだまだ世の中には読みたい物語がたくさんある。

ところで僕は文庫本を愛するあまり、人をほめる時に文庫本にたとえていた時期があるのだが、僕の気持ちが上手に伝わることはあまりなかった。基本的に小柄な人が対象になるのだが、その小さな体に知恵や面白味がぎっしり詰まっているような人に、

「あなたはとても素晴らしい。……まるで文庫本のように」

みたいなことを言っていたのだ。もちろん、何故に文庫本なのか、という説明はなるべく丁寧にしていたつもりである。
当時はそれなりに真剣に考えて、それこそとびきりのほめ言葉として放っていたのだが、受け取る側はあまりいい顔をせず、「結局のところそれは俺が安っぽいということか」とか「要は私が寸胴だと言いたいのね」とか、「ですから説明をちゃんと聞いてくださいよ」と言いたくなるような誤解をされたりしたものだ。
「とびきりのほめ言葉」を考案したのはかなり昔の話とはいえ、年齢的には僕は充分大人になっていたはずだ。そう思うと自分の事ながらなかなか感慨深いものがある。