CITRON.

のん気で内気で移り気で。

ローカライズは国籍不問。

テレビのニュースの情報によると、アメリカの大統領が、

「ぬか喜びかもしれない」

と言ったらしい。その他の情報がうまく聞き取れなかったので、何に対して、どういう状況で言ったのか、それはよくわからない。ただとにかく、そう言ったらしいのだ。
それを聴いた瞬間、若干の違和感を感じたのは、やはり「ぬか」という言葉が原因だろう。
「ぬか」とはあの「糠」のことである。玄米を精米するときに出る小さな部分を指し、そこから転じて「すぐに消えるもの」、「はかないもの」という意味で使われるようになったらしい。だから、「ぬか喜び」は、うれしいことが長続きしなかったという状況になるわけだが、それはそれとして、外国人の発言として、

「ぬか喜びかもしれない」

などと言われると、

「トランプさん、ぬかなんて知ってるのかな」
「トランプさん、ぬか漬け大好きだったりして」

というような、余計なことを考えてしまうのだ。
もちろん、実際は別の意味の英語で話しているんだけど、翻訳の都合で「ぬか喜び」が使われているということはわかっているのだが、つい、

「アメリカ人が「ぬか」て(笑)」

みたいな気持ちになってしまうのだ。

子供の頃、アメリカ映画をテレビで観ていたら、金髪かつ青い瞳の主人公が、

「俺の目の黒いうちは、許さねえ!」

と叫ぶのを聞いて、軽く混乱したことがある。

「こいつ(=主人公)は今、何を言ったんだ」

その発言は僕に相当なインパクトを与えたようで、そのせいか彼が何を「許さねえ」のか、まったく思い出せない。