CITRON.

のん気で内気で移り気で。

人見知り中年、無駄に走る。

携帯電話の地図アプリを見ながら、コーヒー屋さんを探していたのである。
今まで利用していたお店がいつの間にか閉店していたので、急遽、新しいお店を開拓しようという魂胆だ。そこは繁華街から離れたところで、会社っぽいビルばかり建っていて、表情に乏しいというか、その町を特徴づけるような目印が見当たらない。ちなみに日曜だからか人の気配もなく、全体的な雰囲気としてはややさみしい感じがする。

とあるビルの入り口部分が幅の広い5段くらいの階段になっていて、そこに男の子が座っていた。幼稚園に通うか通わないかくらいの年齢に見える。
僕が男の子のそばを通り過ぎようとしたとき、ずっとうつむいていた彼がふいに顔を上げた。偶然目が合った僕たちは、どちらからともなくぺこりと頭を下げ、僕はそのままそこを通り過ぎた。

今どき珍しいのではないだろうか、顔中を鼻水だらけにしている子供というのは。

……というようなことを考えながら歩くこと約30秒。ふと、あの子はあんなところに、どうしてひとりで座っていたのだろう、ということを考えた。
もしかすると、あの鼻水だらけの顔は、さんざん泣いた後なのかもしれない、というようなことを思いついてあわてて振り返るのと、立ち上がった彼が泣きながら走り出したのはほぼ同時で、遠のいてゆく背中のほうから聞こえてくる父親を探す内容の叫び声を聞きながら、急いでそれを追いかけたのであった。
ここが、それなりに人通りのある繁華街だったら、彼の周囲にいるであろう心優しき人たちにその使命を託すこともできたのだが、なにせここには人がいないのだ。歩行者もいなければ店舗もない。そのくせ車道には車がばんばん走っていて、無我夢中で走っている子供が車道に飛び出したりしたら大変なことになる。僕は元来、かなりの人見知りで、子供に話しかける時ですらそれなりの覚悟が必要なタイプなのだが、そうも言っていられない事態がここにあるのだ。
左の手のひらに「人」という字を3回書いてぺろぺろと舐めながら、速度を速める。早歩きでは追いつきそうないくらいの速度、ということは、彼は全力疾走しているのだろう。
彼に追いついたとして、いきなり肩をつかんだりしたら驚かせるかもしれない。まず何か声をかけたほうがいいような気はするが、では何と言えばいいのだろう。「すいません。ちょっといいですか」というのは明らかに適切ではないが、「ねえボク、ちょっといいかな」というのはハードルがかなり高い。理由はよくわからないが、男の子を「ボク」と呼ぶのがどうにも苦手なのだ。

結局のところ、僕が彼に追いつく直前に、近くの曲がり角から両親と思われる二人組が登場し、これにて一件落着となった。父親と思われる人物に泣きながら抱きつく彼に、母親と思われる人物が何か話しかけている。「どこに行っていたんだ」と怒られているのかもしれないし、「ちゃんと手をつながないとこうなるんだ」と諭されているかもしれないが、現場を小走りで走り去った僕に、もうその言葉は聞こえなかった。

そのまま速度をゆるめずに、たまたまタイミングよく変わった信号を渡り、通りの反対側に移動した。目指すコーヒー屋さんに向かうにはやたらと遠回りになってしまったが、なんだか恥ずかしい気持ちになってしまったのである。