CITRON.

のん気で内気で移り気で。

思い過ごしは犬も食わない。

ふと思うと本にしろ映像作品にしろ、「八犬伝」の物語を最初から最後まで体験するのは今回がはじめてなのである。
初心者中の初心者、ビギナー中のビギナーなのだ。
そういう意味でひたすら新鮮な気持ちで読み進めているのだが、これがやたらと面白い。デタラメにぶっとんでいくところと緻密に伏線を回収していくところが混然一体になっているという、なんともとんでもない作品であるにもかかわらず、いや、だからこそ、先が気になって仕方がない。
そもそも完成まで28年もかかっているという時点で、なんというかとんでもないことだ。

「八犬伝」の物語と交互に語られる『南総里見八犬伝』の作者、滝沢馬琴についての物語を読んではじめて知ったのだが、馬琴は、晩年、右目から視力を失っていき、「八犬伝」完結前に完全に失明してしまったらしい。そこから「八犬伝」完結までの物語が最終盤の読みどころにもなっている。
ちなみに馬琴が失明する原因となった病気は、今、僕が患っているやつだ。

この本を貸してくれた上司は、お酒を飲むと古い本や音楽に関するトリビアを面白おかしく延々と語ってくれるような人で、その古いネタをキャッチして投げ返すのが飲み会における僕の主な任務になるのだが、そういう話はその場限りのもので、後日ネタになった本を会社まで持ってくるとか貸してくれるとかいうのは今まであまりなかったことなのだ。

だから、ありがたくお借りして楽しく読んではいたものの、そもそもどうしてこの本を貸してくれたのか、という疑問もないではなかった。疑問に思いつつも、「ちょっとした思いつき」とか「たまたま手元にあったから」というようなことなんだろうなあ、と想像していたのである。

でも、もしかしたら、そうではないのかもしれない。
僕の病気について心配していただいているのは日頃の会話の中からも伝わってくるし、運悪くというかなんというか、座席が僕の真っ正面なだけに、僕のウサギ化(目薬の副作用で白目が大充血した状態)を僕自身よりも目撃しているのは間違いない。僕としても、大変ありがたいし大変申し訳ないと常々思っている次第なのだ。
もしかしたら、この本には、上司なりの「がんばれよ」的なメッセージが込められているのかもしれない(でもやはり、それはただの思い過ごしで、単に、話の細かいところは忘れてしまったけれど(なにせ30年以上前の作品なのだ)面白い時代小説を部下に読ませたくなっただけなのかもしれない)。
この本を返すとき、どんな表情、どんな感想を用意したものか、うむむむと考えている。

【今日調べた言葉』
闇黒
そこひ