CITRON.

のん気で内気で移り気で。

やっかいなシームレス。

どこかで話したこと。話そうと思ってやめたこと。文章に書いたこと。書こうと思ってやめたこと。
……そういう言葉たちが、自分の頭の中に境目なくたまってきているような気がする。どちらかというとこれは最近の傾向で、以前ならきっちりとパーティションで分けていた言葉たちが、今は大部屋にぼんぼんと放り込まれている、というような感じだろうか。話したことと話さなかったことの区別がつかないというのは、本人的にはあまり困らないものの、たとえば会話の相手はたまったものではないだろう。
いきなり、何かの続きのような話を、こちらが当然知っているかのように話されるのだ。

「やっぱ、俺くらい常に頭を働かせて考え事をしてると、たまにこういうコンフュージョンが起こるんだよね」

などとごまかしたいところだが、どちらかというとこれは老化に近い話なのかもしれない。
「いきなり、何かの続きのような話を、こちらが当然知っているかのように話す」って、祖父がよくやっていたような気がする。