CITRON.

のん気で内気で移り気で。

あこがれるのは全肯定。

今までの人生で一度だけ、「あなたは二枚目だ」というようなことを言われたことがある。ひょっとしたらもう10年以上前のことかもしれない。
そう言った人は僕より年上の男性で、深夜、彼の部屋で山ほどお酒を飲んでいたときのことである。どういう話の流れでそうなったのか覚えてないのだが、たしか「よく見るとあなたは二枚目なんだから」というようなことを言われたのだ。
ただ、その時の彼は泥酔していて、体は前後左右に揺れ、顔は赤黒く、目もほとんど閉じられていた。その後、リビングの椅子から転げ落ちて床の上で高いびきをかいて眠ってしまったくらいなので、この「二枚目」発言に効力はまったくないといっていいだろう。「よく見ると」と言っていた時点の彼に、まともに何かが見えていたとはとても思えない。
そもそも、僕に「二枚目」要素があったとしたら、それまでの人生のどこかで、誰かに指摘されていそうなものだ。

ところが、だ。
別の日に、またもや彼の部屋で、やはり泥酔した状態の彼から、
「実は俺は軽い鬱病で、病院に通って治療している最中なんだけど、俺の経験からいうと、あなたも鬱病っぽいところがある」
……というようなことを言われたときには、わりと素直に「そういえばそうかもしれない」と思ってしまったのである。

「二枚目」にしても「鬱病」にしても、酔っぱらいが放った言葉という意味では同じようなものなのに、片方はまったく心に届かず、もう片方は届いた上に心配にまでなっている。
自分にとって嬉しいはずのことを言われてもなかなか信じられないけれど、あまり嬉しくない内容のことなら信じられるというのは僕の性格に原因があるのだろうか。
まあ、自分が「二枚目」かどうかは鏡を見ればすぐに判定できる類のものなので、「鬱病」という心の中の病気と一緒に考えるところに無理があるのかもしれない。ただ、そうは言いつつも、その病に詳しい人なら「見ればだいたい見当がつく」ということはあるだろうし、泥酔はしていたものの、彼もそういうことを言っていたのだろう。

僕は「恥の多い生涯を送ってきました」とまではいわないけれど、「ほめられることの少ない生涯を送ってきました」というところはあるので、「ほめられっぱなしの生涯を送ってきました」と言い切れる人はまた違うとらえ方をするのかもしれない。
たとえば、「あなたは二枚目なんだから」と言われたときに「そうですね」と即答するような、そういう会話を一度はしてみたいものだ。
まあ、「二枚目」関連はあきらめるとして。