CITRON.

のん気で内気で移り気で。

親愛なるデッカードさん。どうかお元気で。

ブレード・ランナー2049』を観る。
もちろん無精ひげでだ。この世界には、無精ひげがよく似合うのだ。

数十年ぶりのあの世界は、せつなくもやるせない、ハードボイルドなものであった。
それほど複雑な話ではないように思われるのだが、観ているとどんどんわからなくなっていくところがあり、そこを深く見つめようとするにはとても勇気が必要になる。
気にしなければしないなりに生きてはいけるけれど、気になりだしたら何も手につかなくなるようなもの。わりと使い古された言い回しになってしまうが、「自分とは何か」という問いがそれにあたるし、もう少し言うと、「自分とかもうどうでもいいのではないか」という、言っている自分自身がどうあつかっていいのかわからない気持ちも浮かび上がってくる。それは「あの娘はとてもセクシーで聡明で、僕は恋に落ちるかもしれない。彼女は人工知能なのだけれど」みたいなことを真顔で言う自分を想像できるかということなのかもしれない。この映画にそういうシーンがあるわけではないのだけれど。

ラスト・シーン近くで、ふと『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(村上春樹)を読み返したくなる。ハードボイルドという言葉に引きずられてそう思ったのか、他になにかつながるところがあるのかよくわからない。あれを読んだのはもうずいぶんと昔のことなのだ。あの小説のラスト・シーンって、雨とか降っていたんだっけ。

親愛なるデッカードさん。どうかお元気で。