CITRON.

のん気で内気で移り気で。

ラーメン食べたい。

先月から続いていた「なんだかやけに飲み会が多いデイズ」がようやく落ち着いた。
とはいえもう11月である。もうそろそろ忘年会の話が出てきそうな頃合いだ。

ところで、なぜ人は、わざわざお金を払い、運が悪ければ翌日の体調を崩す可能性もあるというのに、外でお酒を飲むのだろうか。人によっては仕事で溜まったストレスを発散するためなのだろうし、人によっては昼間には話せないような話をしたいからなのだろうし、人によっては単に断れないからなのだろうし、まあ、きっと理由はいろいろあるのだろうけど、ものすごくざっくりまとめてしまうと、多くの人たちは、楽しくなりたいから飲みに行く、と言ってもそれほど間違いではないだろう。なんだかおそろしく普通のことを述べてるだけなのに無駄に行数を割いてしまったような気がしないでもない。

さて。
僕はと言えば、飲み会に持ち込んで話したくなるというようなネタというものが、ここのところどんどん長文化していて、いってみれば小話化してきているという問題を抱えている。話の終わりにオチがあって、時間がそこそこかかる話というのは飲み会には不向きだし、たとえば百行分あるお話の一行でも順序を間違えたり言い忘れたりすると台無しになることもあるから集中力も必要だ。飲み会なんて時間の経過に従ってアルコールの影響で集中力が削がれていくところなので、集中力を維持しないと話せないものを持ち込む時点でなにか矛盾している。

アルコールが徐々に心身の調子を狂わせていく様を披露してその場の話題をかっさらうとか、巧みな切りかえしと厳選した語彙を駆使した絶妙なツッコミで話題の流れをコントロールするという面白味も飲み会にはあるのだが、どういうわけか個人的な興味がそちらにはあまりなくなってしまった。それと反比例するように高まっていく小話欲をなんとか満たすためにこのブログを書いている、というところもあるような気もする。

僕がさえないサラリーマンだからよかったようなものの、もしも職業がお笑い芸人だったとしたら、これはなかなかやっかいなことになりそうだ。
いわゆるテレビ的な笑いから興味が徐々になくなっていき、ひとりコツコツとやたらと長いコントを書くことがなによりも楽しくなる。書きあがったコントは、あくまでも静かな劇場で披露して、そこで起きた笑いを、自分と、聞いてくれた人たちとで共有する。面白い話というのものは、実は聞いてくれる人の役割がけっこう重要なのだ。

ここまで書いた流れで、こんなことを思ってみる。
ラーメンズ、コンビでの活動はいつ再開するんだろう。