CITRON.

のん気で内気で移り気で。

ミド戦記その3:そして冒険はつづく。

ダンジョンで死んでも、生き返ることができる。
でも、そう思った時が一番危ないんだ。
だから恐怖は忘れるな。
何があっても、生きることを考えろ。

ダンジョン飯』というマンガで、女戦士がそんなことを言う。
名言だと思う。

とはいえ、そうも言っていられないのが冒険者としての僕なのだ。
未知のダンジョンをほぼ手探りで攻略するとなると、どうしても「ためしに死んでみる」という行動が必要になる。
歩いている通路の先に漆黒の闇しか見えなかったら、とりあえず突入してみる。下の階に落ちるだけのときもあるし、毒かなにかが流れているのか、突入した瞬間に死んでしまうこともある。「下の階に落ちるだけ」とはいっても、それなりにHPは消費するので、場合によっては命を落とすことになる。
ダンジョン内で出会うモンスターにしてもそうだ。
事前に相手のHPを確認することはできても、実際に戦ってみないとその強さはわからない。HPが1しかないくせにむやみに強いというヤツもいる。基本的に、自分より格下のモンスターを探して倒すという、弱い者いじめみたいな戦法をとらないと生き残れないのが現実なのだ。

……というような冒険記を最後に書いたのがひと月半前。
それ以来、実はというかなんというか、僕はゲームボーイにほとんど触れていないのだ。当然、ゲームの進捗状況もそのままで、はやい話が、5月中にゲーム2本をクリアするのは不可能な状況になってしまった。普段、それほど多忙な日々を送っているわけでもない……と思っていたのだが、意外と空いている時間がなかったということか。冒険の計画を立てるにあたって、何かを甘く見ていたのは間違いないが、それではいったい何を甘く見ていたのか、今のところ現状分析はできていない。
知らない間に5月がほとんど終わっていた、としかいいようがない。「実は、このひと月半、君は気を失っていたのだよ」と言われれば、そうなのかもしれないと心底思う。

ただ、少なくとも、僕がこの冒険について飽きたとかイヤになったことはないということは断言できる。たとえば照明を落とした寝室のような、条件のよくないところでもゲームができるように、ゲームボーイ・アドバンスSPというライト付きのゲームボーイを中古で購入するくらいには熱心だったのだ。
これでは、わざわざゲームソフトを貸してくれた方(今回は「師匠」と呼ぶことにする)に会わせる顔がない。

5月末まで死ぬほど忙しいから、その間に、お気に入りのソフトを2本貸す。
裏を返せば、5月末までにクリアして報告しろということだ。
ちなみにそのうちの1本は、難易度がとてつもなく高いので、こちらではクリアできていない。
期間はあと3ヶ月弱。寝る間も惜しんでがんばってほしい。

……実際はもっと丁寧な口調だったような気がするが、このような内容のお話を「師匠」からされたのが3月。
テンポよくたたみかけるような口調で、内容は「ゲームを貸してやる。裏を返せばクリアしろということだ」と、なかなかチャレンジング。
このお話の第一印象として、まずなによりも、「裏を返せば」のダイナミックな使い方に惚れ惚れとしたのだ。普通は返さないだろうというところを、力いっぱいひっくり返してきたのである。自分でクリアできていないゲームを貸してやるからクリアしろとは、パワフルにもほどがある。特に熱くもない普通のトーンでそんなことを言われたら、面白いに決まっているではないか(というか僕は面白かった)。

そもそも、「師匠」がそういうことをする人だというイメージがなかったので、驚きも数割増しになったというところはある。

僕の中の「師匠」のイメージは、「静かで、クールで、賢い人」だ。そもそもこの人から「ゲームボーイ」という単語が発声される時点でなんとなく違和感がある。
「静かで、クールで、賢い人」がゲーム好きなのがおかしい、といいたい訳ではないが、わりとしっかりした大人が、20年前の携帯ゲーム機を(今でも使える状態で)大事に保管しているというのは、やはりなんというか、「え、あの人、そうなの?」というサプライズ感がある。

「師匠」のゲームにおけるプレイ・スタイルは、おそらくかなり真摯なものなのだろうと推測する。攻略本に頼らず、地道に、こつこつと、目の前の問題をひとつひとつクリアしていくタイプだ。道に迷わないように攻略本を積極的に活用する僕とは姿勢が違う。
その姿勢の違いからくる誤差なのか、「師匠」が予想する僕のゲームの進み具合は実際よりも先に行っており、時々、控えめな口調で「もしかしたらもうあのモンスターに会ったのでは?」、とか「ひょっとしたら特殊な壁のあるダンジョンをご存知か?」などと聞かれたりしてもだいたいが未体験のものであった。
しかし、僕の進捗が芳しくない可能性も想定して、プレッシャーがかからないように、さも何かのついでのように、「そういえば、まあ、どうでもいいんだけどね」という調子で聞いてくれたのはありがたかった。おかげで、「このままでは悲惨な進捗状況がバレる。むざむざ恥をかくくらいなら、この場でこの人を気絶させて逃げ去るか」というようなことを考えるのは一度だけで済んだ。

今回の僕の冒険は、「師匠」にならって攻略本やインターネットの情報に頼らない方針にした。「師匠」から具体的に「しばり」のようなものを設定されたわけではないが、なんとなく、「お前も当然そうだよな」という遠赤外線のようなものが発射されているような気がしたのだ。

とはいえ、冒険をしていれば、どうしても解決できない謎というものが発生するものだ。
そういう場合、「師匠」に聞くととても親切に教えてくれる(まあ、そもそも多忙な「師匠」ゆえ、質問をするタイミングに恵まれることはそう多くはなかったのだが)。
「師匠」のアドバイスは、その真摯なプレイ・スタイルと同じように、真剣そのものだった。このゲームについて、知っていることを漏らさず、わかりやすく教えたいという思いが静かに伝わってくる、丁寧な説明だった。

ゲームの中に登場する「オーブ」というアイテムの使い道がどうしてもわからなくて、質問をしたことがある。使ってみても画面が一瞬明滅し、キラキラとした音が鳴るだけで、どういう効果があるのかさっぱりわからなかったのだ。
「オーブとは何ですか」という僕の問いに対して、「師匠」はあくまで丁寧であった。
「オーブというのは」
そこまで言うと、両手を軽く広げ、その間の空間をしばし見つめた。まるで、両方の手のひらの間に、「師匠」にしか見えないオーブがあるかのように。
その空間を見つめながら、「師匠」はこう言った。
「オーブというのは、言ってみればワイングラスのような……」
まさか形状の説明から入るとは。
一応、補足として書いておくと、粗いドット絵ではあるが、ゲーム内でもオーブの形状はわかるのだ。今、僕が知りたかったのはそういうことではなく、機能というか、効能のようなものだったわけだが、「師匠」の思惑はそうではなかったのかもしれない。
ゲームをしていると、つい、アイテムの効能ばかり注目しがちになってしまう。ゲームをクリアするという意味ではそれでも事足りるが、アイテムそのものの質感や重みのような、本来、ゲームの中では感じることができない部分を想像することで、より深くその世界に没入できる。おそらく「師匠」はそういうことがいいたかったのだろう。

ゲーム内に登場するアイコンについて説明してくれた時もそうだ。
ダンジョンの中を探索していると、不意に表示される四角いアイコンがある。たとえば、目には見えないが歩ける橋があるとか、破壊すると隣りの部屋への通路が現れる壁がある等、そのダンジョンの特長を示すもので、これらの意味がわかるかわからないかで探索の難易度が大きく変わってくる。
あるアイコンについて解説しようとした際に、それに描かれているマークをどう説明すればいいのか「師匠」は困っていた。その時点では僕はそのアイコンを見たことがなかったのだ。マークにしろ絵文字にしろ、相手の見たことのない図を言葉で説明するというのはなかなか難しいものだ。
そのアイコンに記されているマークは、例えるならば「非常口のマークに描かれている人が、もっと急いでいる状態」に似ているかもしれない。もっと大ざっぱな印象でいうと、「卍」という漢字に雰囲気が似ているような気もする。
会話というタイムラインの中で、これを的確に、時間をかけず説明するために、「師匠」は何をしたか。
言葉を捨て、身体で表したのだ。
自らが許せる範囲で最大限に手足を曲げ、急いでいる感じの人型を作り、その姿勢のまま、
「こんな感じのアイコン」
と解説したのである。
いい大人がするには勇気のいるポーズだが、おかげでアイコンのイメージは僕のハートにばっちりとインプットされたのであった。まさに、頭ではなく身体で覚えたといっていい。

かえすがえす、「師匠」には申し訳ないことをしてしまった。少なくとも、2本お借りしたうちの1本は、自分で買ってもいいのでは、というくらい気に入ったのだが。

ところで。
「師匠」が全力で取り組んでいるプロジェクトとは、(よほど失敗しない限り)長期に渡る重要案件なのだ。人のライフ・スタイルの深いところを変えるような、とても意義のあるもので、おそらくこれは「師匠」のライフ・ワークになるといっていい。
5月末に、そのプロジェクトについてのキックオフ・ミーティングというか、プロジェクトの開始を記念した会合が行われることになっており、その準備に追われて「死ぬほど」忙しいのが今の「師匠」というわけだ。

その準備の進捗状況を時々聞くことがあったのだが、まさに波乱万丈というかスリル満点というか、刻々と減っていく残り時間を横目で睨みつつ、山積する課題を気力と機転と力ワザでクリアしていく様子は、まるでひとつの物語を聞いているようであった。
会合で使う資料と会合自体の構成に凝った分、準備しなければならないものが大量になってしまい、それらの締め切りが一気に到来したいうのが「死ぬほど」忙しくなった要因のひとつなのかもしれない(とはいえ、凝りたくなる気持ちはよくわかる)。
プレゼン用の大事な資料映像を作るための素材が足りないことに気付き、ただでさえ貴重な休日を使って確保しに行ったり、会合用に準備した資金を入金する日に限って印鑑がなくなったりと、「師匠」から聞くエピソードは手に汗を握ったり胃が痛くなるようなものばかりであった。本番を週末に控えたある日、「師匠」自身が体調不良で動けなくなったときなどは、少年誌に載る人気マンガの読者のような気持になったものだ。数々の苦難を乗り越えてきた主人公の絶体絶命のピンチである。意識的にそうしたわけではないとはいえ、盛り上げるにもほどがある。

「まだ大事な書類が残っているのに、今日はネイルに行かねばならない」

というお話を聞いたのが本番二日前。
今回の会合では基本的にフォーマルな装いが求められるのだ。その主催者として、「師匠」もそれなりにおめかししないわけにもいかないのだろう。招待した人たちの眼前で、プロジェクトの成功を誓わされたりするかもしれないから、見栄えのいいドレスくらい着るかもしれない。

その「大事な書類」は、内容を聞いてみると本当に大事なもので、会合当日にそれがないというのはかなりの非常事態になる可能性がある。契約や金銭に関わるものではないのだが、会合に列席した人の心を動かす大事なものだ。これはもう、爪をキレイにしてもらった後、誠心誠意書かないわけにはいかない。最後まで気は抜けないのだ。

これだけ大変な思いをしてはじめるプロジェクトなのだから、ながく、楽しく続けばいいなあ、と心から思う。僕はこのプロジェクトのことを詳しく知っているわけではないので、「絶対大丈夫」とも「いやさすがにこれは無理だろう」ともいえないが、この手のものは、どんなに入念に計算をして準備しても、結局どこかで運まかせになるような気はする。そして、うまくいってもピンチになっても、「運」という第三者のせいにできるというのはけっこういいことなのではないか、などと思ったりもする。

この文章に限らず、僕がこのブログに書きつけるものにはだいたい何割かフィクションの部分が含まれているのだが、今回はその傾向がかなり強くなってしまった。書いていて楽しくなってくると嘘成分が増えていくというのはいかがなものかと我ながら思うが、体質みたいなものなのだろう。悪気はないのだ。本当に。

ゲームボーイの中で行われていた僕の小さな冒険は、ひとまず幕を下ろす。 結果としては残念なことになったが、これからはじまる「師匠」の冒険は……みたいなことを書きたい気持ちもあるのだが、それと同じくらい、

「「師匠」は、ゲームボーイ・アドバンスにも詳しくないだろうか」

というようなことを問い合わせたい気持ちもある。
今、ソフトがなくてさみしい思いをしているゲームボーイ・アドバンスSPがカバンの内ポケットに入れっぱなしになっているのだ。

そして冒険はつづく。