CITRON.

のん気で内気で移り気で。

眠れぬ夜のために。

なんだかうまく眠れない。
浅い眠りを切れ切れに繰り返し、ふと気づくと朝になる。

というようなことがたまにある。というか、今がそういう状態だ。
外からは雨の音も聞こえてくるし、時間帯からいっても、眠くなるには好条件のはずなのだ。
心身が疲れていないわけではなく、そういう意味ではやる気スイッチのようなものはオフになっているので、眠れないならいっそ本でも読んでいようかとか、ゲームでもやっちゃおうかなとか、そういう時間つぶしもできない。ただただ、暗闇の中でぼんやりと過ごす。

この時間帯は、だいたい手の届く範囲に犬が寝ているので、手を伸ばして探してみる。固い毛のかたまりが手に触れたら、手のひらをそのかたまりに乗せる。しばらくすると、手のひらがほんのりと温かくなってくる。ある一定のリズムで、ごくわずかだが体がふくらんだりしぼんだりしているのもわかる。
そんなことを30秒もやっていると、犬が目を覚ます。たかが僕の手のひらだが、彼女にしてみたらけっこうな重さになるのだろう。すまないことをしてしまった……と、いつも後になって気づく。なかなか人間は賢くならない。世界から戦争がなくならないわけだ。なんとなく話を大きくして、何かいいことを言ったような気分を味わってみる。暗闇のなかでドヤ顔でも決めてみようかなどと思ったりもするが、意識的にやってみようと思うとどういう顔をしていいのかよくわからない。まあ、わからなくてもいいような気はする。

犬が起きあがり、こちらに近づいてくるのが気配でわかる。
呼吸の音が近い。首を少し傾げて、僕の顔をじっと見下ろしているような気がする。
犬が言う。

「おきたのでおやつくだたい」

寝てるところを起こされたんだから、お詫びにおやつくらいよこせよな、という気持ちはわかる。しかし、今はおやつをあげる時間ではない。
僕は回答する。

「おやつありません」

「ちぇっ」

犬はそう小さくつぶやくと、また寝ることにしたようだ。
それは別にかまわないのだが、その際に、横たわる僕の顔面によりかかるのはいかがなものか、と思う。ひょっとすると、先ほど起こされたことに対しての仕返しなのかもしれない。
僕の鼻や口といった、呼吸に必要なパーツが犬の背中でふさがれる。呼吸ができないわけではないが、肺に入ってくる酸素の量は通常時の数分の一だろう。単純にいって息苦しい。
せめて犬が寝付くまでじっとしてやりたいのだが、この状況が続くと、

都内でサラリーマン窒息死。飼い犬を詰まらせたか?
幸い、飼い犬は無事。

というような事件になるかもしれない。
そんなことを考えている間に、犬は眠ってしまったようだ。
犬にかまってもらったおかげで、いよいよ目が覚めてしまった。しかたなく電灯のスイッチを入れ、枕元に置いてあるキーボードを開き、今に至る。

もうすぐ朝がくる。
まだうす暗いし、雨も降っているので、人によってはまだ夜かもしれない。僕にとって平日の朝とは、会社に行く準備をしなくてはならない時間帯のことだ。

今日は一日、睡魔との戦いになるだろう。
おまけに今日は早出するように言われているので、出社してから始業まで休憩室でこっそり仮眠をするのも難しそうだ。

勝ち目のない戦いにあえて挑む男の姿というものは、それだけで美しいとされているところがあるが、ぼんやりした目つきで、手の甲あたりにシャープペンシルの先端をぷすぷすと突き刺して眠気を飛ばそうとしている自分の姿を想像すると、あまり美しい感じがしないのが残念ではある。