CITRON.

のん気で内気で移り気で。

僕が献血しない理由(しかも低レベル)。

まずは、職場のエレベーターホールに貼られている献血のポスターに対するちょっとした疑問について。

ポスターには、献血をした際にもらえる記念品についての記載があるのだが、それによると、「献血できた場合」と「献血できなかった場合」で、もらえる記念品が違うようなのだ。ちなみに、「献血できた場合」のほうがいいものがもらえるらしい。

疑問というのは、「献血できなかった場合」という状況なのである。自分から希望して献血しに行って、献血できなかったというのはどういうことなのだろう。行列に並んでいる間に、締め切り時間になってしまった、というようなことなのだろうか。しかし、僕の個人的な感覚では、献血が行列ができるほど人気のあるイベントのようにはちょっと思えない。職場での献血に限らず、街中でたまに見る献血参加の呼びかけでも、「今日はA型が○○名足りません」みたいなことをよく言っているような気がするし。

もしかすると。
献血できなかった場合」とはつまり、「直前になって怖くなってやめた」ということなのだろうか。
軽い気持ちで献血に参加しようとしたら、係の人が持っていた注射器が両手で抱えるようなサイズだったとか、もしくは、採血する機器など何もないような部屋に通されて、不思議に思って係の人に質問したら、その人の前歯がキバのように長くとがっていることに気づいてしまったとか、なにかそういうものを見てしまって、やむなく断念した、ということなのだろうか。

忙しく仕事に打ち込んでいる職場の方々にこんな疑問をぶつけるわけにもいかず、ひとり悶々と悩んでいたのである。で、悩んだ結果、こういう仮説を立ててみた。
献血できなかった場合」とはつまり、「本格的な採決の前に行うチェックで惜しくも献血不可になった場合」ということではなかろうか。
そういえば、はるか昔に参加した献血の時、なにやらそういう段取りがあったような気がしないでもない。その時も、「献血できた」と「献血できなかった」で、もらえる記念品に差はあったのだろうか。記念品といっても、紙パックのジュースをもらった記憶ぐらいしかないのだが。

よく献血に参加するような人にしてみたら、「おいおいここに馬鹿がいるよ」というような文章になってしまった。献血に関して僕はかなりの無知なのである。なぜ無知なのかというと献血をしないからで、ではなぜ献血をしないのかというと、採血をしているあの時間が苦手なのだ。針が刺さるのが怖い、というのとはちょっと違う。
針が刺さってから規定量の血を抜き終わるまでのあのひととき、つい、「もしも今針が折れたら」みたいなことを考えてしまうのだ。そんな想像が次なる想像を生み、あれよあれよという間に僕の頭の中は「なにやらものすごい大惨事」のやけにリアルな映像でいっぱいになる。そうなるともうダメだ。やたらとドキドキしてしまい、係の人に「顔色が悪いですね、横になりましょうか」などと言われてしまうのである。その上、献血が終わった後、「大変でしたね。これで元気つけてください」などと言われながら、ジュースをおまけしてもらったりするのだ。

まあ、上に書いたことは事実よりやや大げさにしてはいるが、まったく架空の話ではない。この大惨事映像を克服しない限り、どうしても献血に対して腰が引けてしまうのである。