CITRON.

のん気で内気で移り気で。

カレールーをめぐる情熱の日々(しかし低レベル)。

突然、夕食の準備を任されることになり、迷うことなくカレーを作ることにした。
近所のスーパーで買ってきたカレールーを使ったカレーである。こだわりや工夫など皆無の、マニュアル通りの製法だ。

ここでわざわざいうまでもないことかもしれないが、市販のカレールーは素晴らしい製品だ。これさえあれば、相当ズボラな人間でも、立派に食事を作ることができる。

さて。
市販のカレールーからカレーを作る場合、その標準的な製法はだいたい次のようなものになるのではないだろうか。

①具材(野菜、肉)を切る。
②切った具材を炒める。
③炒めた具材を軟らかくなるまで煮る。
④アクをとる。
⑤ルー投入。

この5つの手順通りに作業をすれば、誰でも美味しいカレーを手に入れることができる。火加減さえ守っていれば、それほどむずかしいことではない。最終的にはカレーという濃い味を付けて煮込んでしまうので、具材の切り方がそろっていないとか炒め方が足りなかったとかいうような小さな失敗はそこで吸収されチャラになる。
カレールー様々である。

しかし、人間とは欲深き生き物なのである。
けっこう昔の話なのだが、ある人物が、こんなことを考えたのだ。
「もっとズボラに、もっと手を抜いてカレーを作ることはできないか」
そしてその人物は、何回かの実験の結果、カレールーの恐るべき底力を目の当たりにするのである。

実験は、「具材を炒めないでカレーを作るとどうなるか?」、「具材が煮込まれる前にカレールーを鍋に入れるとどうなるか?」、「アクを取るのを省いたらどうなるか?」というように、定められた手順の一部を省いた製法をいくつか想定し、その製法ごとにカレーを作るという方法で行われた。
実験は一週間に渡って行われ、その間ずっと、実験者の夕食は微妙に手を抜いて作られたカレーになった。ちなみにこの実験者とは学生時代に独り暮らしをしていた僕のことである。製法以外に違いが出ないように、カレールーを買い足す時は同じメーカーの同じ味を選ぶよう注意したり、水の量を計るためにわざわざ計量カップを買ったような記憶がある。当時、それなりに真剣に、情熱を持ってこの実験に挑んでいたような気がするのだが、せっかくの学生時代、もっと他のことに情熱を傾けていれば違う未来が開けていたのではないかと思うとなんだか残念ではある(ちなみに、具材の重さをそろえるために、はかりもぜひ欲しいところだったのだが、予算的な問題で導入できなかった。ま、どうでもいい話ですね)。

実験の結果から導き出された結論を簡単にまとめると、
「カレーは相当ズボラに作ってもうまい」
……になる。
時間をかけた割にはパッとしないというか、なんとなく予想できる内容ではあるものの、そうなのだからしょうがない。
上の5つの手順でいうと、②、③、④は省略しても基本的には問題はない。当然、手順を省いたほうがうまい、ということはないのだが、少なくとも普通に食べられるものはできあがる。①も省こうと思えば省けそうなのだが、具材を切らないで鍋に入れるということは、食べられるレベルになるまで煮込むのに時間がかかりそうなので実験しなかった。時間をかけるのが惜しかったわけではなく、「ズボラに手抜きして作る」というコンセプトと合わないような気がしたのだ。
⑤を省く実験も行わなかった。さすがに、これを省いてしまうと自分が作ろうとしているものが何なのか、わからなくなりそうだったからである。

これらの実験は、「材料がそろっているという状況で手順を省く」という主旨のもとで行われたわけだが、それとはまた別の角度から発想した実験として、
「鍋にお湯を沸かし、カレールーのみ入れて溶かして食べる」
というのも行ってみた。出来上がりとしては「茶色いお湯」というところで、ご飯にかけても米粒の間を通り過ぎて器の底にたまってしまう始末だ。実に頼りない見た目なのだが、これもそれなりにうまかったのには驚いた。
恐るべきカレールーの底力。
もちろん、それなりに具材はあったほうがうまいに決まっているし、そもそもジャッジしているのが僕の舌なので、ハードルはかなり低くなってしまっているとはいえ、
「カレールーはそれ自体でほとんど完成された食品である」
という事実に間違いはないであろう。

この他の実験として、手順の他に調理器具の使用を極力省いて手抜きをするという実験も行っている。
内容としては「温かいごはんにカレールーをのせてお湯をかける」、「カレールーをそのままおかずとしてかじりながらごはんを食べる」というものなのだが、その実験の結果について、細かいことを思い出そうとしてもなぜか何も出てこない。
ただ、
「こんなこともう二度とするもんか」
という結論を出したことだけはハッキリと覚えているのである。
その実験で、記憶が吹き飛んでしまうような衝撃的な経験を僕はしたのかもしれない。
……あの時、なにがあったのか。
ものすごく気にはなるが、今から再実験をする勇気はない。