CITRON.

のん気で内気で移り気で。

秋葉原散歩。

中学生時代の友人と数年ぶりに会う。
数年ぶりの再会にそれほどたいした理由はなく、今年買ったままあまり使えないでいるカメラの試し撮りをしようと思った時に、写真好きだった彼のことをふと思い出したのだ。
彼は今も、中学生時代の地元に住んでいるので、かつて住んでいた町をぶらぶら散歩しながら、六義園くらいまで行ってみるのもいいかもしれない、というようなことを、ゆるーく考える。
そういえば、中学生の頃、仲の良かった友人で、地元にそのまま住み続けているのは彼だけだ。それほどたくさん友人がいたわけでもないから、これが何かの統計的な価値を持つわけではないが、少なくとも僕の友人たちは、今はばらばらな場所で生きている。

結局のところ、フィルムを買いたい、という彼のリクエストもあり、秋葉原で待ち合わせることになった。
それにしても、いまだにフィルムを使っているというのもえらい話だ。フィルムの写真については、僕もけっこう頑張ったほうだと思うのだが、結局はフィルムの価格と現像代の高騰についていくことができなかった。使われなくなるものは高くなるというのは仕方のないところで、フィルム写真の今後は、お小遣いのたくさんある人たちに委ねることにしたのだ。

それにしても、数年ぶりに会ったにもかかわらず、歩きながら繰り広げられる無駄話のよどみのなさはどうだ。
相手の話し方のクセ、言葉の量、間の取り方みたいなものが体に馴染んでいるのか、ふたり同時に話し始めたり、間が空いたりすることがない。中学生の頃、時間を気にせずくだらない話ばかり大量にしていたなれの果て、ということなのだろう。

だらだらと歩き、だらだらと無駄話をして、だらだらとシャッターを押す。
カメラに搭載された盛りだくさんの機能の中で、僕が使いたいものはちょっとしかないので、その機能をなるべく簡単に呼び出せるように設定をいじってみたりする。理想は、撮りたいものにレンズを向けて、シャッターだけ押せばいい、という状態だ。

上手い写真が撮れなくても、シャッターを押すのは楽しい。
カメラの電池が(想像以上にはやく)切れたあとは、携帯で撮影を続けた。
そもそもこの散歩のコンセプトってなんだっけ、という事態ではある。

【秋葉原オリジン】

【川とか橋とか】

【この川でも波頭は光る】

【アジト感】

【いいフォント】

【人のカメラ(の露出計)】

【怪談ぽい階段】

【けっこう階段好き】

【川沿いリバーサイド】