CITRON.

のん気で内気で移り気で。

墓とくるみと腹痛と。

早朝、涼しくて目が覚める。
相変わらずコーヒー豆を切らしたままでいるので、とりあえず水をコップ1杯飲み、少し考えた後、うっすーい水割りを作り、それを飲みながらパンをかじる。昨日、会社最寄り駅のいわゆる駅ナカにあるパン屋で、レーズンくるみパンを買ったのである。これがなんだかもうレーズンもくるみもぎっしりでとても美味い。レーズンはお酒と相性がいいので、予想通りというかなんというか、大変いい組み合わせになった。そもそもくるみがぎっしり入っているという時点で、娘の言い方をマネをすれば「尊い」ではないか(感想には個人差があります)。

今日は実家に顔を出さなくてはならない。火曜日が弟の命日だったのだ。移動の所要時間は約2時間。東京の西のほうに向かう。
白地に熊がサーフボードを持ったイラストが描かれたTシャツとブルーのボタンダウンのくたびれたシャツとこれまたくたびれたベージュのチノパンとくすんだブルーと白の太めのボーダーの靴下と薄いブルーのスニーカーに、赤と光沢のないシルバー(というか明るめのグレー)のツートンカラーのショルダーバッグという出で立ちで出発する。ここらへんの服装の描写に特に意味はなく、単に他に書くことを思いつかなかっただけだ。とはいえブルー率の高さが気にならなくもない。
それはそれとして、僕のショルダーバッグと同じメーカーのバッグを、『よつばと!』の小岩井さんも持っているような気がする。どの巻だったか、彼が買ったカリタのナイスカットミルは僕のあこがれの電動コーヒーミルだ(ちなみに今は後継機種が販売されている)。ちなみにお値段は二万円台。我が家で豆をひいてコーヒーを飲む人間は僕しかいないということを考えると、なかなか手を出しづらい高額商品だ。

駅までの道をとぼとぼ歩く。長袖のシャツを着ていてもかなり涼しい。実家のある地域は、同じ東京とはいえ僕が住んでいる地域から一段階くらい寒いということを考えると、上着があったほうがよかったかもしれない。
二つ目の乗換駅の駅ナカでケーキを買う。明日は父の日なので、父の好みにあわせてとにかく甘そうなものを選ぶ。僕の父は、若い頃は風邪をひく度にケーキとコーラで治していたのだ。……まあ、さすがに今はそんな無茶なことはしていないと思う(希望的観測)。

実家の最寄り駅に直行する線に乗り換えたところで、母にLINEをする。その後、電車の中で読みかけの長編小説のページをめくっていたら、急にお腹が痛くなってきた。
僕はわりとすぐにお腹が痛くなるほうで、会社用の鞄にはそれ用の薬を常備しているのだが、休日用の鞄には入っていない。僕の場合、お腹が痛くなるのは圧倒的に平日の朝なのである。ここのところ、休日は平和だったのですっかり油断していた。ところでこの「午前中の突発的な腹痛」は、男子に多い病のような気がする。もちろん、これはあくまで個人的な統計の結果から導かれた僕の思い込みだ。

実家の最寄り駅近くのドラッグストアでトイレを借りる。
個室の中で地獄→天国への短時間の旅を終え、トイレを出た後、売り場の目薬を手に取ってレジに向かう。さっきトイレを借りるときに声をかけたレジ係の女の子に、「さっきはありがとうございました。助かりました」と声をかけつつ目薬を渡すと、「困った時はお互いさまなんですから、わざわざ買い物してくれなくてもいいんですよ。……まあ、買ってもらったほうが私はうれしいんですけどね」と笑われた。高校生くらいのショートカットの女の子で、にっかりと笑った顔と話し方のイントネーションで、話好きなんだろうな、ということがわかる。

両親と合流して、弟の墓に向かう。
本来は「弟」のではなく「我が家」の墓なのだが、両親にとってはほぼ「弟」の墓だ。その中にははるばる福島の寺まで行ってもらってきた祖父のお骨もあるはずなのだが、いまひとつ存在感を発揮できていない。とはいえ、そういう存在感が必要なものなのかどうか、よくわからない。
墓はけっこうきつい勾配の途中にあり、油断していると軽く息が上がる。ただ、見晴らしはよく、母曰く、「ここからなら自分の家が見えてさみしくないだろう」という理由で選んだ場所だ。理論的にはそうなんだろうけど、そこから見える景色のどこに自分の家があるのか、僕にはよくわからない。墓からの距離を考えると、実家は針の先で指さないといけないくらいの大きさになるはずだ。
墓を簡単に洗い、実家の小さな庭から摘んできたらしい花を供える。線香に火をつけて、みんなで手を合わせる。
両親はマメに墓参りをしているようで、ウチの墓はけっこうきれいなのだ。だから掃除に時間がかからない。

実家に寄り、8年前に買って置きっぱなしになっていた長編小説の最終巻を回収した。
買った当時、僕はまだそこまで読めていなかったので、先行して読んでいた両親に貸していたのだ。その後、僕はこの小説を読み進めることを挫折してしまい、以降数年間、ほったらかしにしていたのだか、最近、ひょんなことから再チャレンジをしている。本を読むきっかけというやつは、どこに転がっているのかわからないものなのだ。

父が本棚から持ってきてくれた本には帯がそのままついていて、すっかり退色していた。
父に「まだ読み終わってなかったの?」と笑われたので、「うん。まあ」と答える。

本のページをなんとなくめくりながら居間に向かう。テーブルには缶ビールと大きめの小鉢(いや、これは日本語的におかしいか)がある。食事の準備ができるまで、ビールでも飲んでろということだ。
小鉢の中にはぎっしりとミックスナッツが入っていて、ああ、僕がくるみをはじめとした木の実に目がないのは、遺伝なんだな、と思う。

ストーブのついた居間(どんだけ寒いんだ西東京) でビールを飲みながらくるみをかじる。本のページをめくる。腹痛はすっかり治まっていた。