CITRON.

のん気で内気で移り気で。

鉄塔日和。

僕が散歩に連れていくことを、ウチの犬はそれほど喜ばない。
僕は怖がりで心配症なので、リード(犬をつなげるヒモですね)をあまり伸ばさない。犬としては自由度が低くなるので歩いていてもあまり面白くないのだろう。ただその代わり、僕と散歩すると寄り道し放題になるので、そこはちょっといいかな、と思っているような気はする。彼女(ウチの犬は女の子なのだ)がその気になれば、電柱一本ごとに立ち止まり、心ゆくまで仲間の匂いを確認することができる。街路樹わきの雑草にも頭を突っ込み放題だ。
娘は、散歩の時はリードは伸ばすが寄り道と電柱チェックは許可してくれない。彼女にとってその散歩はかなり魅力に乏しいものになるようで、娘が散歩に連れて行こうとするとそっとテーブルの下に隠れたりする。
おそらく僕と娘の中間くらいのバランス感で散歩をしているのがウチの奥さんで、飼い犬目線で見ると一番有意義な散歩のようだ。
この通り、我が家の犬の散歩スタイルは三者三様なのだが、主担当が娘というのが犬的には納得のいかないところかもしれない。これが現実のほろ苦さというものだ。

今朝の散歩は僕が担当していて、行き先を彼女にまかせて歩いていたら道に迷ってしまった。迷ったといっても、普段は歩かない路地に入ったという程度で、注意深く歩いていればそのうちおなじみの通りに復帰できるパターンだろう。ひと安心した後、「へえ、ここを曲がるとこんなところに出ちゃうんだ」とかつぶやくやつだ。

5月の連休は、ほぼ引きこもって過ごしていたような気がする。出かけた記憶といえば、図書館と、古本屋と、家電量販店くらいしか思いつかない。それ以外はほとんど本を読んでいたのではないだろうか(それはそれとして、僕はいくつになったら家電量販店を必要としない人間になれるのだろう)。
引きこもりの息抜きに彼女と一緒に散歩をして、道に迷ってしまったのが今のステータスというわけだ。

彼女の執拗な電柱チェックの待ち時間にふと視線を上げると、視線の先に送電鉄塔が見えた。ついついスマートフォンで写真を撮りながら、「電柱好きな飼い犬と鉄塔好きな飼い主」というようなことを思い、ちょっとおかしくなる。
鉄塔は圧倒的なボリューム感で立派にそびえ立っている。だけどなんとなくさびしそうに見えるのはなぜだろう。僕は鉄塔のそういうところに心が引きつけられているのかもしれない。……などと自分で思っておいて、こういうのって理屈の後付けっぽいなあ、とも思う。

「そろそろ行きませんか」

彼女にそう声をかけて、僕たちは帰り道を探す。