CITRON.

のん気で内気で移り気で。

我が輩と猫である。

呼び出されて実家に行く。
僕が実家に帰る時、その理由の半分以上はIT系電気製品の不具合改善なのである。スマートフォンとか、パソコンとか、IT系ではないかもしれないが、BSアンテナの調整とか。

実家に帰ると、テレビで『NHKのど自慢』と『岩合光昭の世界ネコ歩き』を見ることになる。両親が好きな番組なのだ。特に「ネコ歩き」については熱心で、録画した過去の番組から母が選んだ傑作選を見せてくれたりする。
こういう番組を見ると、みるみる猫を飼いたくなりそうなので、自宅では見ないようにしていたのだが、実家にも猫がいなくなってずいぶん経つ今、やっぱり自宅でも見ることにしようかなあ、と思ったりする。
我が家には「くり」という名前の犬(女の子)がいて、それはそれは仲良くしているのだが、犬は犬、猫は猫でその魅力にはかなり違いがある。というか、そもそも違う種類の動物なのだから、「犬を飼ってるなら猫は飼わなくてもいいのではないか」というものではないのである。それはつまり、「ガンダムを観てるならイデオンは観なくてもいいのでは」、「『魔法少女まどか☆マギカ』 を観てるなら『結城友奈は勇者である』は観なくてもいいのでは」というような話で、それについての答えはもちろん、「いやいや、そういうもんじゃない」だ。特に後者みたいなことを口にしたら、娘に説教されそうだ。

かつて実家で飼っていた猫は4匹いたが、ペットショップから来た子はいなかった。内訳は、知り合いの知り合いのところで生まれた子が2匹と、動物病院に貼られた「猫あげます」ポスターがきっかけで来た子と、ある日、窓の外でぎゃあぎゃあ鳴いていた野良の子で、どれも大変に面白い子たちであった。20代半ばまでお酒が飲めなかった僕が、自宅でこっそり「お酒を飲む練習」をしていた頃、それにつきあって一緒に晩酌してくれた子とか、ミルクをあげたりトイレを教えたりしているうちに何をどう思ったのか「うつぶせになって寝ている僕の後頭部の上」でしか寝なくなった子とか、思い出すと「ふふふ」と笑ってしまうことばかりだ。ちなみに、後頭部で寝る子は、僕の首にとって負担になるほど重くなったのを機に、何日かかけて話し合いの時間を作り、最終的には自分のベッドで寝ることに納得してもらった。

もしもまた猫を飼うことがあるのなら、その時もそういう出会いをしたいような気がする。
できれば、ハチワレが少しずれていたり、しっぽが変なところで曲がっていたり、顔の真ん中に大きなブチがあるような子がいい。毛はあまり長くなくて、顔立ち自体は美少女(もしくは美少年)で、僕が呼びかけても「今、それどころじゃないですから」などと言いながら熱心に執拗に壁をがりがりやっているような子なら言うことなしだ。ところで、猫が爪とぎをしている時の腰を落とす仕草はとても愛らしいと思う。

口をすぼめて、何かを真剣に考えている猫はなんだかとても気高く誇り高く見える。そんな、きりりとした眼差しの猫の、少しずれたハチワレから見える何かに、つい僕は魅了されるのだ。

……とかなんとか言ってはいるが、実際に動いている猫を見てしまったりすると、それが太っていようがやせていようが美形だろうが面白い顔だろうが、だいたいすべてかわいらしいのだ。それがわかっているからテレビも見ないようにしていたのだ。
でもやはり、これからは見ることにするのだ。

これは、世界で一番ささやかな、かつ、しょうもない決意表明なのだ。
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