CITRON.

のん気で内気で移り気で。

鉄板ネタは犬限定。

なにせ今は風邪っぴきなので、会社から帰った後はなるべくはやくベッドに入るようにしている。そうするとだいたい犬がついてくるので、暗い寝室の中で、しばらく犬の相手をすることになる。

スキあらば口を舐めに来ようとする犬をよけながら、軽く世間話をする。犬に日本語は通じないが、話すという態度が大切なのではないかと思っている。少なくとも、飼い主がなにかメッセージを投げてきていることは伝わっているはずだ。
ちなみに彼女は小型犬とはいえ大人の女性なので、「そうでちゅか」とか「いいこちゃんねー」というような話し方はしない。普通の声色で、「暖かかったり寒かったり、なんだか落ち着かないねえ。この時期、全裸で過ごしていて風邪をひかないなんてうらやましいよ」などと言ったりする。もちろんその言葉が犬に通じているとは思わないが、話しかけられること自体は好きなような気がする。

言葉によるコミュニケーションができないとはいえ、そこそこ長いつき合いなので、彼女の気持ちがわかることもある。

「今は楽しい」
「それは面白い」
「それが食べたい」
「そこに行きたい」
「そこには行きたくない」
「これがこわい」
「とても怒っている」
「しょんぼりだ」
「遊びたい」
「甘えたい」
「おもちゃをなくしました」

仕草や声の使い方の組合せで、彼女はいろいろなメッセージをくれる。それらすべての意味はわからないけど、これくらいのことはわかるような気がする。

「これくらいのこと」と書いてはみたものの、これだけわかれば充分ではないだろうかとも思う。相手が日本語を話す人間だったとしても、その人の気持ちがこれだけわかるようになれば上出来なのではないだろうか。

ところで、僕は彼女を確実に面白がらせる仕草をひとつ持っている。長年の研究の末開発することができた、いわゆる鉄板ネタというやつだ。これをするだけで彼女の口角は上がり、興奮のあまりその場でぴょこぴょこジャンプしたりする。それどころか、仕草が一通り終わると急ぎ足で駆け寄ってきて、僕の足元でじっとこちらを見上げ、その瞳で、

「もう1回お願いします」

と訴えかけてきたりもする。
こんなに喜んでもらえるなら何度でも披露したいところなのだが、人に見られるととても恥ずかしいポーズをしながら、これまたとても恥ずかしい声を発する必要があるということと、とても体力を使うので、なかなか見せてあげることができない。とても残念だ。