CITRON.

のん気で内気で移り気で。

僕らが髪を切る理由。

歯医者に行き、その後、ついでだからと髪を切る。
これだけやり切ってしまうと、なんだかひと仕事終えたような気分になる。
その時点ではまだ午前中なのだが、今日は前倒してもうおしまいにしてもいいくらいの充実具合だ。

ところで、僕が髪を切りに行っているのはいわゆる1000円カットに属するお店で、そういう意味で正確にいうと1300円カットのお店である。
客層は(ばらつきはあるものの)まさに老若男女であり、「前髪だけちょっとそろえたくて」という粋なオーダーをするお姉さんもいれば「二か月前に戻してくれ」とタイムスリップもののSFみたいなオーダーをするおじさんもいる。
順番待ち用の席に座っている若いお母さんは、隣でNintendo Switchで遊ぶ子供にスマートフォンを向けている。その雰囲気から察するに動画を撮っているようなのだが、お母さんの声を聞いていると内容が実況中継風で、この世界の片隅にある1300円カットのお店から全世界に何かを発信している可能性も否定できない。そういうことがそれほど難しくない世の中というのも思えばすごいことだなあ、と思いつつも、一応、お母さんのスマートフォンがなにかのはずみでこちらを向いたりしないか注意を払う。

髪を切る席は3つ用意されていて、僕から一番近い席に座っている客と店員の会話が小さく聞こえてくる。その会話はマンガや雑誌が入った棚の向こうから聞こえてくるので客の顔を直接見ることはできないが、声や話し方の雰囲気から「おばあさん一歩手前」くらいの客ではないかと推測する。

「私、ホラ、こういう髪型でしょ、一昨日他のお店で切ったんだけど。そしたらね、主人がものすごく怒って、「お前は何考えてるんだ。○○(聞き取れず)が大変なときだってのに。○○(聞き取れず)に何かあったら、お前のそのふざけた髪型のせいだからな」って怒鳴るのよ。シャクだけど、毎日怒鳴られるのもイヤだから、また切りに来たってわけ。だからね、この際なんでもいいから、主人に怒鳴られないように切ってください」

……というこのオーダーを、店員は無事に受け止めることができたのだろうか。
この会話の直後、自分が髪を切ってもらう順番になったので、この客の新しい髪型を確認することはできなかった。残念でならない。