CITRON.

のん気で内気で移り気で。

はやくおうちにかえりたい。

突発性の飲み会の後、はやくも痛くなりつつある頭をなるべく揺らさないように電車に乗る。たまたま空いていたところに座り、極力おとなしくしていたところ、どこかの駅から乗ってきて目の前のつり革につかまった男性が、見事なくらいに酔っ払いなのであった。
つり革につかまった手とつま先を軸にしてぐるんぐるん回っている。もちろんコマのように回っているわけではなく、体の正面はこちらに向けたまま、前後左右に体を揺らしている。こちらから見る限り、彼の体の手以外の部分はすべて弛緩していると思われるのだが、逆に言えば手だけがバッチリ働いているのが奇跡のように見える。
彼はずっと小声で何かをつぶやいていて、聞き取れる範囲の情報から察すると、どこかの駅からどこかの駅までナントカ線で移動して、そこから別のナントカ線に乗り換えて別のどこかの駅に向かい、そこからまたナントカ線で……というようなことを言っているようだ。帰宅するまでに使う路線をおさらいしているのか、旅行の計画でも立てているのか、そのへんはよくわからないが、ずいぶんな長旅なのではないだろうか。
その声はお経のように延々と続き、聞いていると怖い気持ちになる。ぐるんぐるんしている彼の顔が時々近づいてくるのも怖いし、いつ崩れ落ちてきてもおかしくないようなその体勢も怖い。全部合わせるとなかなかの恐怖体験だ。僕がいったい何をしたというのだ、と、今すぐ誰かに訴えたい。

そんなことを考えていると、彼のいる方向とは別の方角から、まるで風船から空気が抜けるような「すー」という音が聞こえてきた。その直後、僕の右頬に風のようなものがあたる。
次の瞬間、それが誰かのオナラだということに気づいたときに、不覚にも涙が出そうになってしまった。今までの人生で、顔にオナラを吹きかけられたことってあっただろうか。これはもう、臭いとか臭くないとかいう話以前に、すげえヘコむ事態である。その上、もちろん臭いのだ。
僕がいったい何をしたというのだ、と、再度誰かに訴えたい。

目の前の彼のつぶやきはまだ続いている。
彼はいったい、どこに行くのだろう。