CITRON.

のん気で内気で移り気で。

土曜日のボタンダウン。

コーヒーを淹れながら、どうでもいいようなしょうもないことをぼんやりと考える。そのせいで、本当ならお湯を注いで40秒待ちたいところを70秒も待ってしまった。考え事をしている頭の片隅でカウントアップしている数字がいつの間にか70になっていて、ふと頭の中の別のところにいた自分が「70ってなんだっけ?」とつぶやいたのだ。
この30秒のオーバーは、コーヒーの出来上がりにどの程度作用するだろう。少し楽しみになる。

この時考えていた「どうでもいいようなしょうもないこと」とは、「ボタンダウンのシャツの襟についているボタンホールに、間違えてシャツ正面最上部ボタンを通してしまう人というのはどれくらいいるのだろう」ということだ。これを仮に「アクロバット止め」と名付けるとすると、たとえば今朝、ボタンダウンを着ている人の中でアクロバット止めをしてしまった人の割合も知りたいし、アクロバット止めをする人はだいたいどれくらいのインターバルでそれをやってしまうのかという頻度も知りたい。
何故かというと、今、僕が着ているシャツがアクロバット止め状態なのである。
これは僕の中では、「それほどちょくちょく起きるわけではないけれど、とはいえ珍しい事態でもない」くらいのアクシデントで、はやいところコーヒーを淹れ終わって、ボタンを直したい気持ちでいっぱいなのである。アクロバット止め特有の違和感が首回りを支配していて、気になって仕方がない。こんなに違和感がするのなら止めてるときになぜ気づかないのか我ながら不思議だ。ボタンを止める部署と違和感に気づく部署は担当官が違うのかもしれない。体の中で日夜働く、なんというか、その、小人的な者の中から選ばれた担当官の。

ボタンを直した後、さっき淹れたコーヒーを飲む。いつもより抽出時間が長くなっているので味にも違いがあって当然だと思うのだが、驚くほど違いに気づけない。
ボタンを止め終わるまでそれがアクロバット止めだということに気づかないような人間が、コーヒーの味の違いに気づくわけがない……と考えると矛盾はないような気がして納得はできる。
あとは、妙に納得してしまった自分に納得できるがどうかだ。