CITRON.

のん気で内気で移り気で。

勇者はぼんやり腕を組む。

時間を見つけてはコツコツと進めている『ドラゴン・クエストXI』がなかなか終わらない。
極力、ネットの攻略情報などに頼らずに冒険しているので、自分のいる位置が物語的にどれくらいのところなのかハッキリとはわからないのだが、とはいえそろそろかな、という感触はある。

僕は重度の方向音痴なので、「このダンジョンでしくじると致命傷になる」というような時はネットを参考にする。本当は、ダンジョンに入って、無事に帰ってこれるくらいの情報だけが知りたいのだが、ネットのその手のサイトにはさまざまな情報が掲載されているので、自分が知りたい以上の情報が不用意に目に飛び込んでくることもある。
今まで何回かゲームの進行上できれば知りたくなかった情報(いわゆるネタバレ的なやつだ)が視界に入ってしまい、けっこう残念な気持ちになってしまったりしている。これ以上、不幸な事故を繰り返さないためにも、そろそろ決着をつけたいところだ。はやいところゲーム・ボーイの『突撃ばれいしょんず』を再開させたい、という思いもある。ちなみにこの『突撃ばれいしょんず』は、『ドラゴン・クエストXI』の200倍くらい難易度が高く、感動とはまた別の意味の涙が止まらない類の作品だ。

それにしても、『ドラゴン・クエスト』というゲームの面白さはやはり独特のものだと思う。僕はいわゆるストーリー勢というやつで、サブゲームとして用意されているウマレースやカジノには目もくれず、ひたすらメイン・ストーリーを楽しんでいるのだが、この楽しさや先が気になる感じは映画の楽しみとも小説の楽しみともマンガの楽しみとも違う。だいたい、『ドラゴン・クエスト』のストーリーや設定は、けっこう大胆にご都合主義なのである。ここで例を挙げてしまうとそれこそネタバレになってしまうかもしれないのでそこには触れないが、諸々ご都合主義だったり設定にリアリティがなかったりしても面白さを損なわないというその凄みについて、すごいなあ、と思うのだ。

何かを見たり聞いたり読んだりして、「面白いなあ」と思うのが好きなのだが、そこでつい、「どうして面白いのかなあ」などと思ったりするのも好きなのだ。
勢いあまって「面白いとはなんだ」みたいなことを考え始めたりするとさあ大変。ゲームのコントローラーを放り出し、ひとり腕組みをして「うむむむむ」などとうなりはじめたりする。

いい材料を用意して、きっちりと正確に描かれた設計図に従って配置しただけでは「ものすごく面白い」ものはできないのかもしれない。それではそこに、何を追加すればいいのだろうか。もしかしたらそれは、理屈に合わない変なモノ、なのだろうか。

こんなことを考えているとゲームはなかなか進まないのである。