CITRON.

のん気で内気で移り気で。

曇天気分。

こんなことはめったにないことだと思うのだけれど、今日、知らない女の人が泣いているのを2回も見かけてしまった。

ひとりは会社の休憩室でたまたまとなりに座った人で、電話をしている最中に泣き出してしまった。外国の言葉で話していたので、会話の内容がわからなくてよかった。
もうひとりは会社からの帰り道で、その人は顔中で泣きながら、でも、その顔を隠すことなく真っ正面を向いて早足で歩いていた。

どちらのときも、「なにかつらいことがあったのだろうか」と思ったのだが、よく考えてみれば、泣いているからといって、必ずしもつらかったり、悲しかったりするわけではないのだ。いわゆるうれし泣き、という可能性もある。

そういえば、僕自身はうれし泣きをしたことがないような気がする。わりと地味に生きてきてしまったからか、そもそもあまりうれしい思いをすること自体が少ないのかもしれない。「ほめられもせず、苦にもされず」というやつだ。

知人が飼っている犬は、あまりにもうれしいことがあるとオシッコをもらしてしまうという、ものすごい特殊能力を持っている(ちなみにその能力を「うれション」というそうだ)。
その犬は僕のことをわりと気に入ってくれているようで、遊びに行ったときに足にしがみつかれた後に「うれション」をされたことがある。その時はそれなりに困ったことになったのだが、それよりも、「オシッコをもらしてしまうほどうれしいこと」がある人生(正確には犬生)について、なんだかうらやましい気持ちにもなったのだ。

僕にとって、涙が出るほど(もしくは、オシッコをもらしてしまうほど)うれしいことってなんだろう。少し考えてみたものの、これという答えが出てこない。
なんとなく満たされない思いを抱えて日々を生きているくせに、では何をされたら涙が出るほど(もしくは、オシッコをもらしてしまうほど)うれしいのか、とっさに頭に浮かばないというのもちょっと不思議な話かもしれない。
……ってまあ、そんなに大げさに考え込んでいるわけでもないのだけれど。