CITRON.

のん気で内気で移り気で。

ホットのことはほったらかし。

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コーヒー・メーカーのスイッチを入れると、彼(彼?)の奥のほうから「かちり」という音が小さく聞こえてくる。そして、「しゅっしゅっ」とか「ぼたぼた」とか、それなりににぎやかな音を立ててコーヒーが作られる。……ついこの間までは、たしかにそうだった。

ある朝、いつものようにスイッチを入れると、「かちり」という音がしない。
押し方がちょっとアレだったのかな、などと、「アレ」というのが自分でもよくわからないまま再度押してみてもうんともすんともいわない。しかし、試しに押しっぱなしにしてみると「かかかかか」という音がか細く聞こえてくる。

朝のあわただしい時間帯に割ける時間は多くなかったが、できる限りの知恵を絞って復旧作業を試みる。残念ながら成果はなかったが、あきらめはついた。

もう会社にいく準備をしなくてはいけない。
後のことは、後で考えよう。

数十分後、会社に行く準備を終えた僕は、未練がましく、スイッチを押してみる。
「かちり」と音がして、しばらくするとコーヒーが出来上がっていた。
なんでよ! と思いつつ一安心したのだが、結局のところ、それ以降は何回試してもスイッチが入ることはなかった。

ということで、戸棚の奥にしまい込んであった水出し珈琲用ポットを引っ張り出したのであった。今風にいうとコールド・ブリューというやつだが、数年前の日本にはそういう洒落た名前はなく(……たぶん)、「水出し珈琲」用ポットという名前の商品として購入したものだ。買ってはみたものの出来上がるまで8時間もかかるし、1リットル単位でしか作れないし、そのせいでコーヒーは80グラムも使うしということで、コーヒーを飲む人間が僕ひとりしかいない我が家では持て余して使わなくなっていたのである。
しかし時は流れ、会社で飲むコーヒーを(主に経済的な理由で)自宅で用意するようになった今、再び彼女(彼女?)が脚光を浴びることになった。ましてや、今の僕にはあの頃とは比べ物にならないくらい安いコーヒーを手にいれる知恵もついたのだ。いまや80グラムなどちょろいものである。これが大人になるということだと言ってもいい(いやまあ、会社用のコーヒーはAmazonで買うことにしただけなのだが)。
ツイン・ピークス』やコーネリアスが十年とか二十年ぶりに僕を夢中にさせているように、水出し珈琲用ポットは今、数年ぶりに僕の興味を猛烈にかきたてているのである。

ずいぶんと久しぶりに取り出したにも関わらず、水出し珈琲用ポットには特に損傷もなく、問題なく使えそうに見える。基本的に、麦茶用ポットの中にある麦茶パック内蔵部の「目」を細かくしただけというような仕掛けなので、そうそう壊れるものではないのだろう。使用法はえらく簡単で、コーヒーと水をポットに入れて冷蔵庫にしまうだけなので、作るタイミングを工夫すれば、朝は会社用の水筒に詰めるだけで済む。これまでは、コーヒー・メーカーで作ったコーヒーを、氷で冷やしていたのである。その手間がなくなるのだから、今までより便利になるといってもいい。
不便なことといえば、あたたかいコーヒーを作ってくれないことくらいだ。

……。

それはそれとして、コールド・ブリューといえば。
先日、会社近くのブルーボトル・コーヒーというお店で、コールド・ブリューの缶コーヒーをつい買ってしまったのである。
コーヒーの味の違いみたいなものが細かくわかるほど繊細な舌を持っているわけではないが、ブルー・ボトル・コーヒーはマークが可愛くて好きなのだ。それに、まあ、いい加減な舌とはいえ、味に興味がないわけでもない。普通の缶コーヒーよりはお高いかもしれないが、一度くらい買ってみたいと思っていたのである。ちなみに、缶はけっこう小ぶりで、僕の予想価格は350円(税込み)だ。「(あの)ブルーボトル・コーヒーが缶コーヒーを発売する」という予告と缶の画像をインターネットで見ただけだったので、購入するまで価格を知らなかったのだ。

購入した缶コーヒーは、236ミリリットルで600円であった(それも税別)。
お店の人にそう言われたとき、思わず「ハア?」と聞き返しキョトンとされてしまったのだが、サードウェーブ・コーヒーの雄であるブルーボトル・コーヒーでお金を使う以上、缶コーヒーが600円という事態などは「まあ、そんなもんでしょ」、「むしろ、そこから得られるバリューを考えたら安くね?」というような余裕ある態度で接するものなのかもしれない。そういえば、僕の前にレジ待ちしていた20代前半くらいの女の子は、缶コーヒーを4本も買っていたのにまったく動じている様子がなかった。きっと、家族の中に何人か石油王がいるに違いない。僕もそういう生い立ちなら、素っ頓狂な声で「ハア?」などと言うこともなかったのだ。

ただまあ、値段にびっくりはしたもののコーヒーは美味かったと思う。その値段についても、缶コーヒーだと思うとびっくりするが、ブルーボトル・コーヒーが600円、という風に考えれば、それほどの違和感はない。モノは考えようである。
まあ、だからといって、また買うことがあるかというと、おそらくないような気はするのだが。