CITRON.

のん気で内気で移り気で。

政治とギャンブルの相性について。

そういえば、先日の選挙では投票した人が当選したのであった。
これは、個人的にはなかなか珍しいことなのである。日々、政治について高い関心を持っているというような立派な大人ではないのだが、一応、選挙のたびに、自分なりに熟慮して票を投じるようにはしているのだ。選挙公報を見たり、各候補者のサイトを覗いたり、街頭に貼ってあるポスターのデザインをくらべたりと、数日間の比較検討を行い、「これだ」という人を選ぶのだが、不思議とその人は当選しないことが多い。あまりにも勝率が低いので、いったい何について「これだ」と判断しているのか自分でもわからなくなってくる。

それが今回、数年ぶりの当選なのだ。
インターネットでその事実を知った時、真っ先に思ったのは、「これでやっと僕の意見が都政に届く」というようなことではなく、「僕にも運が向いてきたのかもしれない」である。別に自分が努力をして当選したわけでもなんでもなく、単に投票した候補者が当選したというだけの話だが、今までの勝率の低さから考えれば、今、なんらかの「よい力」が僕に作用していると思っても差し支えないのではなかろうか。

実は今、宝くじ的なものを購入してみたい欲求と戦っている最中なのだ。正直なところ、深田恭子以上に「当たる気しかしない」のである。
まさに、参政権を運気を計るものさしとして使うという逆転の発想といえるが、いったい何に逆転しているのかはよくわからない。