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CITRON.

のん気で内気で移り気で。

メガネ! メガネ!! メガネ!!!

メガネを常用し、コーヒーを常飲する者として、ちょっと聞き捨てならない名前のお店が、僕の住む町から近からず遠からず、といった距離感のところにある。

その名を、メガネコーヒーという。一応書いておくと、コーヒー屋だ。以前、ネットの海のどこかで偶然見かけたテイクアウト用の紙コップが大変いい感じで、ちょっと気になっていたのである。
その紙コップには、白地にメガネのイラストが描いてあり、その下に、カタカナで「メガネコーヒー。」と添えられている。
こんな説明ではなにがどう「いい感じ」なのかまったく伝わらないが、ごくシンプルなそのカップについて語るときに、ごちゃごちゃと過剰に言葉を費やすのもなにか違うような気がして……というのはもちろん言い訳で、本心では「ああんなんて書けばこの面白味が伝わるんだよう」と思っているのは間違いない。そして、そういう自分の心情を吐露するヒマがあったらカップの説明に言葉を使ったらどうだ、と思ったりもしている。こういうのんきな雑文を書くというだけでも、人間というものはけっこういろいろなことを考えるものなのだ。

白いカップのまんなかへんに、必要最小限の線で描かれたメガネ。ふたつのレンズ部分と、それをつなぐ部分しか描かれていない。そしてその下に、カタカナで「メガネコーヒー。」という文字。メガネとコーヒーという、若干の違和感があるものを臆面もなく並べ、挙げ句、アルファベットではなくカタカナで臆面もなく名乗る。その臆面のなさに、「ふふっ」と笑ってしまうようなユーモアがある……ような気がする(感想には個人差があります)。

とはいえ、コーヒーと関連がなさそうな単語を組み合わせればなんでも面白くなるのかというとそうでもないようで、
「チューリップコーヒー」
「三毛猫コーヒー」
……と、思いつきで考えてみたコーヒー屋の名前は、「メガネコーヒー」ほどの面白味はないような気がする。というかむしろそういう名前のお店がどこかにありそうな気になってくる(重ねて断っておくが、感想には個人差があります)。

こういうことを考えはじめるとどんどん楽しくなってしまうのだが、今回はそういうことをいいたいわけではない。

僕の住む町から近からず遠からず、といった距離感のところに、メガネコーヒーというコーヒー屋があるのだ。
この、近からず遠からず、というところがやっかいで、電車をみっつも乗らないといけないし、現地までの移動時間は1時間半もかかる。そこはとある私鉄の小さな駅の近くで、駅名自体はなんとなく知っているような気はするものの、そのコーヒー屋以外に行きたいところは特にない。何かの手違い(混んでて入れなかったとか、臨時休業とか)があったら、肩を落としてそのまま直帰するしかないのである。
コーヒーを一杯飲むために……と思うと腰が重くなるというかなんというか、要は興味はあるけどちょっと面倒くさかったのだ。
ということで、「メガネコーヒー」問題は、

なにか、ついでがあったら行ってみよう。

……と、ここ数ヶ月、自分の中で保留にしていた案件だったのである。

ところが。
この問題について、今日、久々に脳内会議で取り上げてみたのだ。
きっかけのようなものは特にない。なんとなく、ちょっと思い出したというだけのことだ。
しかし、今日の会議は紛糾した。
このままでは保留状態が延々と続きそうな当案件を、ずっと頭の片隅に抱えているのに飽きたのかもしれない。ただでさえ少ない記憶領域の片隅に、解決のメドがたたない問題を置いておくのももったいない。行くのか行かないのか、どちらにしてもハッキリさせるのもこの際悪くない。

これまでの人生を振り返り、今後の人生を予測してみても、この町に「ついで」の用事が発生するとはちょっと考えにくい。また、1時間半という移動時間も、よく考えてみれば毎日の通勤時間とだいたい同じだ。

オレは、1時間半かけて会社には行くくせに、同じ時間をかけてコーヒーを飲みには行けないのか。

いやしかし、たった数十分、コーヒー飲むだけだからねえ。電車賃考えたら、一杯いくらのコーヒーになると思ってるの。

……などと、ぐだぐだと会議を続けていたら、例の紙コップが、

「仕事とアタシと、どっちが大事なの! 今ここではっきり言って頂戴!!」

……と、涙ぐみながら会議室に乱入してきた。
防水加工されているとはいえ、紙素材の彼女(彼女?)に余分な水分は禁物だ。彼女のためにもなるべくはやく方針を決めたいところだ。
その他諸々、白熱した議論の結果、結論が出た。

じゃあ、行ってみるか。コーヒーだけ飲みに。

ということになったのだ。
この結論に至る決め手がなんだったのか、今となっては思い出せない。これもまあ、今日の陽気にそそのかされちまったということなのかもしれない。

道に迷ってたどり着けなかったとか、苦労してたどりついてみたはいいけどコーヒーが劇的に不味かったというような残念な結末になったとしても、それはそれで話のタネだ。ふと、昔読んだ本に、「転んでも、タダでは起きぬ私小説」というような言葉が書いてあったことを思い出した。『Papa told me.』で知世ちゃんが言ってたんだっけか。

たどり着いたそこは、長いカウンターと、いくつかの小さなテーブルがある、小さな店であった。カウンターの端の席がひとつあいていて、そこに座る。午後の、いってみれば中途半端な時間帯なのに満席だ。定員が10人ちょっとということもあるのだろうけど、人気のある店なのかもしれない。
座ってみると、カウンターは正面に奥行きがあり、隣のお客さんとの距離もそれほど近くない。そもそも店長らしき人(ちなみにメガネ着用)が一人で切り盛りしていて一カ所にじっとしていないこともあり、カウンター席で時々ある「店員との距離感が近くてなんだか無駄に緊張する」ということはなさそうだ。
店内をじろじろと観察していると、店長が小さなクリップボードを持ってくる。白い紙がはさまっていて、それがメニューらしい。頼むものはコーヒーに決めているのだが、一応ちらりと目を通す。
この店は、店内でコーヒーを飲むときに紙コップで出してくれるのだろうか。ブルーボトル・コーヒーのように、コーヒー・カップか紙コップか選ばせてくれるのが理想だが、店内ではコーヒー・カップで出してくれる店だったとしても、お願いしたら紙コップにしてもらえるだろうか。
視線をメニューに落としたまま、そんなようなことを考え、僕は店長にこう告げた。

「コーヒー・ハイボールください」

そのオーダーの内容にびっくりしたのは、店内では僕だけだっただろう。別に牛丼や麻婆豆腐をオーダーしたわけではない。メニューに載っているものをオーダーしただけなのだ。そういう意味ではまったく問題はない。

思わぬ事態にあわてていたのは、僕の脳内会議室にいたメンバーだ。メンバーたちは口々に言う。

何を言ってるんだ、ここはコーヒーにしないとダメじゃないか。
いったい何のためにここまで来たと思ってるんだ。こいつはひょっとすると馬鹿なのか。

議長がひときわ大きな声で叫ぶ。

「どうしてこいつは、こんなにもハイボールという言葉に弱いんだ!」

ちなみに、コーヒー・ハイボールは悪くなかった。
コーヒー風味のハイボール……と言ってしまうとミもフタもないが、ほんのりと甘みもあり飲みやすい。
つい、もうちょっとお酒が濃くて、ミックス・ナッツなんかがちょっぴりついてきたらなあ、などと思ってしまったのだが、ナッツ片手にちびちび飲むようなお酒ではないのだろう。

店を出るタイミングで、テイクアウト用のコーヒーをオーダーする。
レジ近くには、いくつかグッズのようなものが置いてあった。ちなみにコーヒー豆は100グラム950円。個人的にはちょっと勇気がいる価格だ。
面白いと思ったのが、メガネふきである。
コーヒー屋のグッズにメガネふき。
驚くほど違和感がない。なぜならここは、メガネコーヒーだからだ。
ちなみにこちらは一枚300円。

駅までの道を、コーヒーをちびちび飲みながら歩く。
コーヒーは、苦くないほうで美味しいほうのやつだ(なんなんだこの語彙力のなさは)。
そういえば。
数か月に一度、検査のために通っている病院が、今日の行程でいうと、ふたつめの駅の近くなのだ。病院に行くついでに、ちょっと足を延ばしてみてもいいかもしれない。

僕は、なにかに慣れるということに時間がかかるタイプなのである。
今日だって、居心地は悪くなかったとは思うものの、初めて行った場所が生み出すドキドキ感が先行して、お店の隅々まで満喫したとは言い難い。
ただ、ぼんやりとハイボールを飲みながら、「また来てみてもいいかもなあ」とは思った。その理由は、まだうまく言葉にはならないのだが。
なので、そう遠くない未来に、また来ることにした(ちょっと遠いけど)。
そのときは、メガネふきも買ってみようかな。