読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

CITRON.

のん気で内気で移り気で。

六義園再襲撃。

雨の中、六義園を再襲撃した。もちろん本当に襲撃したわけではなく(あたりまえだ)、再訪しただけのことである。再襲撃というのは『パン屋再襲撃』という小説のタイトルを安直に拝借しただけだ。

六義園は、東京都文京区にある都立庭園で、もともとは徳川綱吉側用人であった柳沢吉保が造園したものだ。明治時代に岩崎弥太郎のものになったのだが、昭和13年に東京都に寄贈され、今に至るらしい。
入園料は300円。ただし、小学生と都内の中学生は無料。

つまり、ここは歴史的に価値のある庭園で、都内では貴重な、自然の中に身を置くという気分を満喫できるところなのである。だからこそ、人はお金を払ってまで入園し、大きな桜や池の水面を眺めては感嘆のため息をついたりするのだろう。
先週、夜のしだれ桜を見るために入園待機列に並んだり、人ごみの中で桜を眺めたりしながら、僕はそんなようなことを再確認していた。

とはいえ。
子供の頃、付近住民であった僕にとって、六義園といえばザリガニを捕るところだったのだ。僕が子供の頃というくらいだから、もう何百年前も前の話になる。
小学生は入場無料ということもあり、当時の我々には、ここは「デカい池のある遊び場」でしかなかった。「大名庭園」とか「柳沢吉保が7年がかりで造園」とか「将軍綱吉もお気に入り」とか「四季折々の花や木を楽しむ」とか「歴史あるしだれ桜」とか、そういう大人っぽい意味での価値などつゆ知らず、じゃぶじゃぶと池に侵入し、そこらの石をひっくり返し、むやみに穴を掘り、割りばしとタコ糸で作ったインチキな釣り道具にニボシかなんかをくくりつけ、それを水面にたらしたりしていた。柳沢さんには大変申し訳ないとしかいいようのない破壊活動の数々である。

……あの頃の我々にとっての狩猟場は、今、どうなっているのだろう。

しだれ桜を眺めながら、ふとそんなことを思い、今日に至るわけだ。
今日は雨だし、日曜でも午前中なら空いているだろうから、ついでにしだれ桜をゆっくり見てみるのもいい。
そんなことも考えたりした。

結論から先に書くと、しだれ桜は見事に散っていて、かつての狩猟場は近づくことができなかった。雨の日は危険ということで、水の近くには行けないようになっているらしい。
少し距離をおいたところから見たかつての狩猟場は、大人になった今の感覚でいうと、見事な日本庭園としかいいようのないものだった。
よくもまあこんな風光明媚なところで狩猟活動やら破壊活動を行っていたものだ(さすが子供)。とはいえ、当時、誰かに見つからないようにこそこそと遊んでいたという記憶もないので、大目にみてもらっていたのかもしれない。きっと今やったら怒られるんだろうなあ。

六義園と同じ敷地内に、六義公園という児童公園とグラウンドがある。ちょっと覗いてみると、拍子抜けするくらい当時のままだった。公園のアスレチック遊具も、グラウンドの入り口近くに植えてあるイチョウの木も、僕が小学生の頃と変わらずそこにある。ちなみに、小中学校時代の運動会はこのグラウンドで行われていたはずだ。

六義園の狩猟場にしろ、公園にしろ、グラウンドにしろ、はるか昔の少年時代の記憶とそれほど違わない姿でそこにあった。
とはいえ、

「子供の頃は大きく見えたのに、大人になってみると、こんなに小さく見えるんだな」

という感慨もなく、ただ、

「あ、そのままあるんだ」

……と思っただけである。
時間が経つことによって変わるものもあれば変わらないものもある。まあ、それだけといえばそれだけの話だ。
変わってよかったこともあれば変わらなくてよかったものもあるだろうし、ということは逆に、変わったことで困ったことになったり、変わらないことが何かの害になったりすることもあるはずだ。
……ってまあ、だからなんだ、ということもないのだが。
この辺にずっと住んでいる友人の話では、ここから徒歩5分ほどのところにある小学校は、キレイに建て直されたそうだ。僕が通っていた頃は、うす暗くカビくさい校舎で、そのカビくささがけっこう好きだった。だから、キレイになったと聞いたときにはなんだか少し残念な気持ちになったものだ。
そういえば、理科の先生と仲良くなって理科準備室の合い鍵を作ってもらった友人がいて、放課後になると有志数名とそこにこもっていた時期があった。ほこりっぽくカビくさく、わけのわからないものがたくさん置いてあるその部屋は、妙に居心地のいいところだった。教師とのこういう交流も、今やると誰かに怒られるのかもしれない。

話は変わるが、六義園の最寄り駅にある、しだれ桜の開花状況案内に「落下さかん」と書いてあった。調べてみると、花の開花状況を伝える用語としてよく使われるものらしい。僕ははじめて知ったのだが、口の中で転がすと、妙にクセになってくる語感だ。

らっかさかん、らっかさかん、らっかさかん。

「落下さかん、落下傘、もうたくさん」

なんとなく、こんなフレーズを思いつく。
ぎりぎりのところで早口言葉になれなさそうなこの言葉はいったいなんだ。もしかしたら、仕事の多い落下傘部隊の隊員の心情をあらわしたものかもしれない。

六義園の上空、落下傘で降下しながら眺める庭園は、きっとキレイだろうなあ。
ちらっとそんなことを考えつつ、傘をさして帰った。