読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

CITRON.

のん気で内気で移り気で。

ミド戦記:ダンジョン攻略は突然に。

人生には、時々、思いも寄らぬ事件が起きる。
去年まで、いや、昨日まで、いや、極端な場合はつい5分前の自分にはとても予想のつかないことが今、起きたりする。こういう、「人生なにがあるかわからんのう」という状況を、アメリカ映画ではジェット・コースターや、チョコレートの箱に例えたりする……と書いてからちょっと不安になってきた。厳密に精査するとこの例の出し方はちょっと違うような気がしないでもない。とはいえ、ちょっとした「今、上手いこといった!」感が捨てがたいので、とりあえずこのままにしておくことにする。要は、生きているといろいろある、ということがいいたかったのだ。

この度、本業のサラリーマン活動の合間に、(ごく短期ではあるが)副業を行うことになった。
これこそまさに、先月の自分にはとても想像できなかったことだ。今回、ちょっとした縁があって、このようなことになった。その「ちょっとした縁」がどのようにもたらされたのか、いまひとつしっかり思い出せないのだが、まあ、些細なことだ。人生には勢いというものが必要な時がある。

今回、僕が従事することになった副業は、冒険者だ。
モンスターがうようよとうごめく、とあるダンジョンを攻略することになった。僕にとっては久々の冒険者活動である。
この状況を、ものすごく端的に簡潔に説明すると「ダンジョン攻略もののゲームソフトを借りて、空いた時間に遊ぶことにした」ということになる。まあ、それだけといえばそれだけの話なのだが、それをわざわざ「副業」というにはそれなりの理由がある。

本気度が違うのだ。

今回、副業として行うミッションには期限とノルマがあり、そのノルマの難易度は(僕にとっては)かなり高い。本気で取り組まなければとてもじゃないがこなせない案件なのである。

さて。
この物語は、先月、我が家の自宅内ダンジョン(おそろしく片づいていない部屋ともいう)からゲームボーイが発掘されたところからはじまる。
ゲームボーイとは、その昔、任天堂から発売されていた携帯型のゲーム機のことだ。専用のソフトをセットしてゲームをするという意味では、ニンテンドー3DSや、最近発売されたNintendo Switchの先祖にあたるといっていい。しかしそれにしても、ニンテンドーだのNintendoだの、カタカナだったりアルファベットだったり、表記が統一されていないのはどういうわけなのだろう(ここに書いた名称は任天堂のサイトから転記したものだ)。公式サイト上の表記が統一されていないということは、あえて書き分けているということなのだろうが、その意図がよくわからない。

話がそれた(とはいえいつものことだ)。
兄弟の形見でもあるゲームボーイとの久々の対面を喜んでいた矢先、なんやかんやあって「おすすめのソフトがあるので、再会の記念にプレイしてみてはどうだろうか」という話が舞い込み、そこでまたなんやかんやあって、今に至るのである。
しかし、加齢による記憶力の低下と日々向き合っている身にとって「なんやかんや」というのは実に便利な言葉だ。今まであまり使ったことがなかったのだが、これからは積極的に使っていこう……というこの一文がすでにあやしい。「今まであまり使ったことがなかった」のかどうか、実はあまり自信はないのだ。

今回、(なんやかんやあって)お借りしたソフトは2本。ともに1991年製である。なんと今から26年も前のものだ。ということはつまり、今、現場で一緒に仕事をしている新入社員よりも年上のソフトということになる。発掘されたゲームボーイもそうだが、そんな大昔のものがいまだに遊べるというのは実はけっこうすごいことだ。単純に比較できるようなものではないが、今、僕がスマートフォンで遊んでいるゲームは、おそらく26年後には遊ぶことはできないだろう。

さっき形見という書き方をしたのだが、手元にあるゲームボーイは元々は弟のもので、僕自身はこれで遊んだことはほとんどない。せっかく往年の名機が動く状態でここにあるのだから、ちょっと試しに遊んでみたいと思うことがあっても、肝心のソフトについてあまりよく知らないのだ。
インターネットを使って調べてもいいのだが、ネットの情報が僕にジャストフィットするとも限らない。僕はゲームがわりと好きなほうだと思うのだが、腕前がからっきしなのである。学生の頃、僕がゲームをしているところを見ていた友人に「お前はアレだな。反射神経が鈍いというより、ないんだな」みたいなことを言われて妙に感心されたことがある。神経の性能云々以前にその存在を否定されたわけだ。おそらく、「よくぞ今まで生きてきた。神経ないのに」という意味で感心されたのだと思うのだが、ところがどっこいというべきか、その後数十年、なんとか生きている。神経とは、なければないでけっこう生きていけるものらしい。そういえば、世の中には「無神経な人」というような言い回しもある。意外とそういう人は世の中に多いのかもしれない。
まあそれはそれとして、ネットで評判のいい名作が、僕にはまったく歯が立たないということはおおいにありうるのだ。

そういったわけで、おすすめのソフトを教えてくれた上に、それを貸してくれるという人がいたのは大変ありがたいことであった。なにせタダなのである。そのソフトが僕にとってハードルが高すぎて遊べなかったとしても、金銭的には損をすることはない(まあ、それなりにヘコむような気はするが)。
余談になるが、僕の見解では、タダでものを貸してくれる人はかなり高い確率でいい人だ。じゃあ、タダでものをくれる人もいい人なのかというと、必ずしもそうでもないような気がする。これはあくまで個人的な見解で、うまく根拠は説明できないのだが。

しかし、僕にソフトを買してくれた人(いちいちこう書くのも面倒なので、今後はマスターと表記することにする)は、おすすめソフトをただ貸してくれたわけではなかったのだ(これについては、また別の機会に書くことにしたい)。

ということで。
今、僕の通勤カバンには、紫色のゲームボーイが忍ばせてあるのだ。

西暦2017年。
いかにもサラリーマン風の男が持つ、いかにもサラリーマンが持ちそうなカバンの中には、ゲームボーイとそのソフト、あとは予備の乾電池。
「ふふふ、まさかオレ様のカバンにゲームボーイが入っているとは思うまい」
……この妙なワクワク感はなんだろう。
「おっと、オレ様の後ろに立つときは注意しな。カバンの中のゲームボーイが火を噴くぜ」
ゲームボーイに乗ったらしっかりつかまりな。飛ばしていくよ」
……そんなような気分なのだ。
真顔で「どんな気分なんだよ」と問われると大変困るのだが。

四半世紀前のゲームソフトと、それを遊ぶためのゲーム機が、通勤カバンの中に入っている。ゲームソフトは、少し前の自分にはちょっと思いつかないところから出現したものだ。
おおげさにいえば、ゲームボーイたちを通勤カバンに入れたその時から、僕の生活はこれまでとはほんの少しずれた世界に突入したのである。生活の中の些細な変化が、予想以上に鮮やかなワンポイントとして世界に色を足したのだ。
この状況が、ちょっと面白くてたまらない。「ちょっと面白い」と「面白くてたまらない」がごっちゃになった気分なのだ。……書いててアレだが、うまく伝わっているかどうかかなりあやしい気分ではある。もしかすると、微熱が続いているような状態に近いのかもしれない。

この文章のタイトルは『ミド戦記』だ。
いうまでもなく、映画化もされたファンタジー文学の名作、『ゲド戦記』からパク……いや、インスパイアされたものである(しかし僕が『ゲド戦記』を観たり読んだりしたことがあるのかという問題については黙秘権を行使したい)。

今のこの状況を僕が面白がっている間、『ミド戦記』は続く(とはいえ、次回の『ミド戦記』はいつになるのかわからない。冒険の進捗次第だ)。
冒険者として、与えられたクエストをこなし、ダンジョンを攻略するのだ。剣と魔法とモンスター。まさにファンタジー。語感だけで『ゲド戦記』をパクったわけではないのである。

……あっ。パクったって言っちゃった。