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CITRON.

のん気で内気で移り気で。

あの人に、会いに行く。……『この世界の片隅に』によせて。

ある日、てくてくと散歩をしていたら、どこかの路地でばったりと出会う。
……できれば、そういう風に、この映画と出会いたかった。何も知らない、初対面の関係で、出会いたかったのだ。
もしもこの映画と、そういう風に出会ったとしたら。
きっと、彼(彼女かも)は、こんなようなことを言うだろう。

「あの、私、『この世界の片隅に』という映画なんですけど、あの、もしよろしかったら、観てみませんか。あまりお構いはできないんですけど」

そう言いながら、彼(彼女かも)は、シャツの裾をもじもじといじくっている。はじめて聞くタイトルだが、恥ずかしそうにうつむいている様子からみて、悪い映画ではなさそうだ。
映画一本1800円。決して安くはない(感想には個人差があります)金額だが、いきなり目の前に現れた見ず知らずの映画を、観てみてもいいかな、と思ってしまったのはなぜだろう。ひょっとすると、恥ずかしそうにほほを赤らめて、でも微笑みを浮かべているような映画と久しぶりに出会ったからかもしれない。

「観てみようかな」

僕がそう言うと、彼(彼女かも)は、

「ありがとうございます」

と言いながら、深く頭を下げた。

……とまあ、こういう風に出会いたかったのである。
なんというか、「こういう映画なんですよ」という情報がない、なるべくまっさらの気持ちで、この作品を観たかったのだ。極端にいえば、昭和20年の広島の物語ということすら知らない状態で観たかった。

結局のところ、僕はこの映画をとても好きになったのだが、それを観て自分の中に生まれた思いについて、積極的に誰かに話そうという気持ちは起きなかった。
なにかを語ることで、「この映画はこういう映画なんですよ」という定義をしたくなかったし、それ以前に、この映画を受け止めたことで大きく動いた思いを、うまく言葉にできそうもなかったからだ。
映画を観て、こんな気持ちになったことはあまりないような気がする。

もしも、「『この世界の片隅に』は今観るべきよくできた戦争映画であります」とか、「いや実は恋愛映画なのです」とか、「これは、ひとりの女性の、絶望と再生の物語」というような言い方をしてしまうと、「戦争映画」や「恋愛映画」や「絶望後再生映画」(なんだそりゃ)に興味のない人にこの映画が届く可能性がうんと低くなるかもしれない。それはちょっと残念なことのように思うのだ。
かといって、会う人会う人の襟首をつかんで「まあ観ろすぐ観ろとにかく観ろ」というのもなにか違うような気がする。当然、世の中には「映画というものに金を使う趣味がない」、「というか1800円も出せない」という人もたくさんいるわけで、それはそれで尊重されるべきことなのだ。映画なんて、無理して観るようなものではないのである。
「映画を観るつもりじゃなかったんだけど、まあ、これも何かの巡り合わせと言うことで」というような、そういう出会い方が、この映画には似合っているような気がする。それはつまり、『この世界の片隅に』は、僕にとっては「観る」ものではなかったということなのだ(ああ、もっと文章を書くのが上手だったなら、こんなわけのわからないことは書かないのに!)。

それでもあえて、「江戸時代が舞台なら時代劇映画」というくらい大ざっぱな分類をすれば、この作品は、戦争映画ということになるのだろう。
まさにその時期の、そして広島の物語なのだ。そこにはたくさんの、つらく、さみしく、かなしいことがあった。
ただ、それをいうなら、今、この時代にだって、つらく、さみしく、かなしいことはある。戦争をしているあの頃とは種類も規模も違うのかもしれないが、身を切られるようなつらい別れを経験したり、致命的に誤った決断をしたり、二度と思い出したくない風景を見てしまったりすることは今だってある。
人は、今のところ、自分の生きる時代を選べない。だから、自分の生まれた時代で、なんとか生きていくしかない。それも、できれば、笑いながら。
……ちなみに、「今のところ」という書き方をついしてしまうのは、いつか机の引き出しから青いロボットが現れて、タイムマシンに乗る機会を与えてくれることをいまだに期待しているからなのだ。僕はいつになったら、そういうことを考えない、まっとうな大人になれるのだろう(どうでもいい話ですね)。

日々の生活の中で、手に入れたり失ったりする「いいこと」の量は、たぶん、人によって違うのだろう。
一日の最後、眠りにつく前に、ふと自分の手を見てみると、両手からあふれるほど「いいこと」が余っているような人もいれば、左の手のひらのくぼんだところに、ちょっぴりだけ「いいこと」が残っていた、という人もいる。ひょっとすると、手相のシワの中にかくれてしまって、「いいこと」が全然見えなくなっている人もいるかもしれない。

そういう、うれしかったり、おもしろかったり、わらいたくなったりするような「いいこと」を、どんな時でも、少しでも、手の中でまもるようにして、僕たちは生きている……のかもしれない。
もしも、今を生きる僕たちがそうなのだとしたら、あの時代を生きていたあの人たちもきっとそうだったのではないだろうか。
その「いいこと」の在庫を守りきれるかどうかというのは、また別の話として。

ところで。
少なくとも僕にはそういう傾向があったのだけれど、戦争があった時代の人のことを思う時、(ほとんど無意識に)あそこにいた人たちは、ただただ戦争の被害者で、ただただつらく、ただたださみしく、ただただかなしい日々を送っていた、というようなくくり方をしていたのだ。しかしそれは、認識としてはあまりにもシンプルすぎて、あの時代に生きていた人たちの人生を物語ろうとしたときに、(変ないいかたになるのかもしれないが)少し失礼なのではないだろうか、と思ったのだ。

この映画に触れたことによる心の動き方は、今まであまり経験したことのないものだった。なので僕は、「こういう心の動きは滅多にないことだから、大事に覚えておこう」と思ったのである。
それはもしかすると、あの時代について頭の中にあったシンプルで薄いイメージが、突然、分厚く、豊潤になったことで、オーバー・ヒートに近い状態になったからなのかもしれない。モノクロだった思いに突然色がついて、そこから発生した気持ちをうまく処理することができなくなったからなのかもしれない。
で、もしも、本当にまっさらな状態でこの映画に触れることができたとしたら、もっと、より大きく気持ちが動いたのだろうなと(ほんの少しだけ)惜しいような気持ちになったのだ(まあ、実際のところは、多少、事前情報が入った状態でも、十二分に衝撃は受けたのだが)。

「話すことのできない映画」について、つい、何かを書いてしまったのは、なにかとんでもなく心を動かされて、その心の動きを今はちゃんと言葉にできないけれど、しかしそれは悪い気分じゃなかった、ということを、このインターネットの片隅に記しておきたかったのだと思う。
この映画について、僕にいえることがあるとするならば、それは感想でも、解説でもなく、こういうことなのだろう。

もしも機会があったなら、映画館のスクリーンを通り抜けて、あの日のあの街に行ってみるといい。
街を探検し、海を眺め、少し道に迷ったりしながら、あの人に会いに行こう。もしもあの人に会えたなら、少し勇気を出して、話しかけてみるといい。その人は恥ずかしがり屋だけど、とてもチャーミングで優しい人だから、仲良くなれたら縁側の隅でスイカくらいごちそうしてくれるかもしれない。
その人の名は、すずさん、という。
あごのほくろが目印だ。

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