CITRON.

のん気で内気で移り気で。

ミドクロは心配性。

今週はずっと体調が悪い。寒気がする。腰が痛い。つまりは風邪気味のようだ。
いったい何がきっかけで……などと考えるまでもなく、先週金曜の夜(というか明けて土曜の深夜)がいけなかったのだ。

先週の金曜、以前同じ現場で働いていた人たちとの飲み会があった。
中には数年ぶりに会う人や、現場で顔はよく見ていたけど話すのはほとんどはじめて、という人もいたので、人見知り体質の僕としてはうまく打ち解けられるかどうかけっこう不安だったのだが、結果としてはそれはまったくの取り越し苦労であった。それどころか「お前って昔からそんなヤツだったっけ?」、「一緒に仕事をしている間は真面目な人だと思っていたのに」等々のちょっと見過ごせない類の言葉の数々を投げつけられ、挙句の果てに「ミドクロ」なるニックネームまで付けられてしまった。これはまったくもって想定外の展開で、いわゆる「いじられる」という状況になったわけだが、解散後、「いじられ疲れ」としかいいようのない疲労を感じたのは久しぶりのような気がする。まあ、面白かったのでよしとしよう。
ちなみに「ミドクロ」の「ミド」は僕の名字の一部、「クロ」は僕の内面の色なのだそうだ。語源はともかく、「ミドクロ」という言葉の響きがちょっとかわいらしくて、わりと気に入ってしまったのが悔しいところではある。

二次会まで続いた飲み会の後、帰宅するために乗った電車で寝過ごし(いじられ疲れのせいだと思う)、自宅最寄り駅の二つ先で目が覚めた。反対方向の電車はもう終わっていたので、寒空の下、二駅分歩いて帰ったのだ。ウォークマンで音楽を聴きながら、ほろ酔い気分で夜道を歩くのは思ったより悪いものではなかったが(いや、負け惜しみではなく)、おそらく、この時に身体を冷やしたのが原因で、今日になってもまだ鼻をすすっているのだろう。

ウォークマンといえば、僕のウォークマンには娘からもらったシールが貼ってある。そこには、丸まって眠っている猫のイラストと、「なにより寝るのがスキ」という文字が入っている。どこかの店頭でこれを見かけた娘が、「これは父親にぴったりだ。いや、父親そのものだ」と衝撃を受け、誕生日か何かのタイミングでくれたのである。
丸まって眠る猫と父親のイメージがダブったのだとすると、それはちょっとどうかしているのではと思わなくもないのだが、この場合、どうかしているのは、娘なのか、そうイメージさせてしまう父親なのか、なかなか判断が難しいところだ(おそらく両方なのだろう)。
ひょっとすると、イメージが重なる、というような問題ではなく、もっとダイレクトに、僕がちょいちょいそういうポーズで眠っている、という意味なのかもしれない。僕は寝相が大変悪いらしいので、眠っている間に取る様々なポーズの中にそれが含まれているという可能性は否定できない。

そんな僕ではあるのだが、今回のように電車で寝過ごしたことはあまりない。外見的には「なにより寝るのがスキ」に見えるのかもしれないが、寝てはいけないところでは眠らないタイプだと自分では思っている。そんなの当たり前だろう、と思われるかもしれないが、意外とそうでもないのが現実というものだ。会社や教室や国会議事堂など、「な、なぜ今……?」というところでけっこう人は眠れるものなのだ。体感的には、大人だろうが子供だろうがそういう人は一定数存在しているように思われる。
この、「寝ていい状況か否か」と「眠ったか眠らなかったか」をざっくりと分類すると以下のようになる。
①「寝ていい」状況で「眠る」
②「寝ていい」状況で「眠らない」
③「寝てはいけない」状況で「眠る」
④「寝てはいけない」状況で「眠らない」
……今回の失敗は、いうまでもなく③ということになる。なんとなく勢いでこんな整理をしてしまったが、ここから何かいいたいことがあるのかというとそうでもない。なんとなく、思いつきでやってしまっただけのことだ。
ただ、①から④まで眺めてみると、なんといっても①が幸せそうな状態に見える。寝ていいところで眠る……ただそれだけのことなのだか、それがとても満たされたことのように感じられる僕は、やはり「なにより寝るのがスキ」なのかもしれない。今まで、自覚症状こそなかったが、他覚症状として何か娘に伝わっていたのだろう。
逆に、できればやりたくないのはやはり③だろうか。②も、「眠らない」を「眠れない」と解釈するとなかなか厳しそうだ。自分の人生を振り返ってみると、「とても楽しいことをしていて眠るのを忘れて朝を迎えた」というような経験よりも、「不安なことやイヤなことがあって、寝なくてはいけないのに眠れなかった」ということのほうが多かったような気がする。誰もが皆そうだという気はまったくないが、僕の場合は確実にそうだ。そもそも、気が小さく心配性なのである。
どれくらい心配性なのかというと、僕は、外出しようとして玄関を出た後、鍵をかけたかどうか不安になって帰宅するタイプの人間なのだ。もっといえば、玄関のドアに鍵がかかっていることを確認して再び目的地への歩きだし、しばらく歩いた後、今度はガスの元栓が気になるタイプの人間なのである。それがたとえかなり自宅から離れたところであったとしても、あまりにも心配になれば帰る。決して帰りたいわけではないのだが、帰らずにはいられない心理状態になってしまうのだ。自宅玄関前から帰宅を決意した地点までの距離を競う競技があったら、おそらく東京代表くらいにはなれそうな気がする。

なにはともあれ、少なくともここ数ヶ月は、「寝なくてはいけないのに眠れない」ということはない。しがないサラリーマンがしがない毎日を送っているだけの日々なのだが、そういう意味では思ったより悪くないといえるのかもしれない。

たとえ、深夜に、背中を丸めてとぼとぼ歩くハメになったとしても。
たとえ、それが二駅分の距離で、道に迷ったりして1時間くらい余計に歩くことになったとしても。
帰ったら何も考えずに眠ることができるだけ、幸せなのかもしれない。
……などとまとめるとそれなりにもっともらしい感じになるかと思ったのだが、体調を崩したことも考慮すると、やはり、寝過ごしたのは大失敗だ。
とにもかくにも、今年の3月11日は、こうやって始まったのであった。