CITRON.

のん気で内気で移り気で。

一病息災負け惜しみ。

初詣で引いたおみくじの結果を見るときに、まず「健康運」を探してしまったり、その流れで「健康祈願」と書かれたお守りを買ってしまったりする自分に、「大人になったなあ」と思わずにはいられない年始であった。

別に大病を患っている訳ではないのだが、眼精疲労からくる体調不良に悩まされた昨年ではあった。いわゆる「目、肩、腰」ではなく、「目、後頭部、腰」のどれか(もしくは全部)が常に痛い。特に後頭部の痛みは、車酔いのような、もしくは鉄棒で前回りを数十回連続でやった後のような不快感を連れてくることがあり、なかなかやっかいだ。
体が不調だと思考回路や気分のようなものも調子が悪くなるようで、考えていることがうまく言葉にできなかったり、いきなりドスンと気分が暗くなったりする。気分が暗くなっていることを悟られたくない時にあえて明るく振る舞おうとすると、アクセルを踏みすぎるのか意味もなくハイ・テンションかつ多弁になったりして、なんというか、一言でいえば「不安定」なのだ。
不安定度が最高潮のときは、楽しかった思い出について回想していても、いつのまにか、
「ミンナボクノコトヲバカニシテワラッテルンダ」
みたいな結論になる。こうなると、一周まわって逆に面白い(「一周まわって」の使い方があっているのかどうかよくわからないが)。あの素敵な思い出をそこまで暗くひねくれて解釈できるのか、というような、自分の闇ポテンシャルに感心したりする。
まあ、感心している場合ではないのかもしれないが、とりあえず今のところ、そういう時がある。

というわけで。
ここ最近(といってももう一年くらいになるのだが)朝晩ゆっくり風呂に浸かるとか、体のあちこちにサロンパスを貼ってみるとか、お灸に火をつけてみるというような、心身がほぐれてリラックスできそうなことを試しているところなのである。ポイントは、お金がかからず手軽にできることだ。即効性はないかもしれないが、少なくともどれも気持ちがいい。

そういえば、去年、生まれてはじめてお灸を買ったのだ。
いわゆるせんねん灸というやつで、自宅近所のドラック・ストアで購入した。そもそもお灸というものがドラック・ストアに売っているものなのかどうかよくわからなかったので、店に入るなりレジにいた店員に(なんとなくやや小声で)「お灸って売ってますか?」と聞いたのである。
店員は20代くらいのショートカットの活発そうな女性で、その上親切な人であった。
僕の質問に対して「あるとは思うのですが……」と答えた彼女は、次の瞬間、売り場のほうに向かって走り出したのだ。僕の問いに対する回答が頭の中にないのなら、体を動かして解決しようということだ。そのキビキビとした動きには好感が持てるのだが、人間としての器が小さい僕としては、
「今、このレジに客がきたらどうなるのだろう」
と思わずにはいられないのであった。ざっくり見渡した感じ、店内には五人程度の客がいる。レジは二つあり、うち一つには僕が店に入った時点ですでに店員がいなかった。残る一つのレジにいた店員は今、僕のためにお灸を探している。つまり、レジは無人なのだ。

もしも今、レジに客が来たら。

レジ横に佇んでいる僕が何かしないといけないのか。
たとえば、売り場のどこかで今まさにお灸を探している店員に大声で呼びかけるとか。
たとえば、店員のかわりに僕がレジを打つとか。
どちらもなかなかの高難易度だ。というかレジなんかいきなり触ってなんとかできるものなのだろうか。
「……いやレジは無理だろう」
という結論を出すのとほぼ同じタイミングで、店員がこちらに向かって呼びかける声が聞こえてきた。店内中に響くような、大きく、そして、嬉しそうな声だった。

「お灸をお探しのお客さあああん、ありましたあああ」

店内にいた五人程度の客がいっせいに声のほうを向き、その次の瞬間、その視線は、レジ横に立ち尽くしている僕にそそがれた。 どの客のものなのか判別はできなかったが、
「お灸だって(ぷっ)」
という声も聞こえてきた。
お灸には何の罪もないし、それを買おうとしている僕にも罪はない。別に、いかがわしいものを買おうというわけではないのだ。それなのに、その時、僕は、ほとんど反射的に、
「これは恥ずかしいことになったぞ」
と思ってしまったのだ。スーツを着た、会社帰りのサラリーマンが何を恥ずかしがっておるのか、と、今なら冷静に思えるのだが、たった五人程度ではあるものの、知らない人に突然注目されたことで動揺したのかもしれない。
動揺のあまり体を硬直させていた僕を動かしたのは、店員の次のセリフであった。

「お客さあああん、お灸は二種類あってええ、マイルドなのとー、ちょっと強い刺激のとー……」

あろうことか、お灸の説明をはじめたのである。
商品を持ってレジまで戻ってくるとか、商品のある場所まで僕を誘導するとか、もっと別のやり方があるだろうに、とは思うのだが、おそらく、客の求めるものをうまく探し当てたことで店員のテンションも上がってしまったのだろう。その声はちょっとうれしそうで、なんとなく無邪気な雰囲気もあり、僕が部外者なら微笑ましい気持ちになったかもしれない。
僕は小走りで彼女のもとに駆け寄って、こう言って彼女を黙らせた。

「マイルドなほうでお願いします」

店員はにっこり笑ってこう言った。

「先端部分の長くなっているライターもあると、火をつけるとき便利ですよ」

その手には、お灸といっしょにリラックマのイラストの入ったライターが握られていた。 かくして、僕はようやく、お灸(とリラックマのライター)を手に入れたのであった。

はじめてのお灸は、じんわりと温かく、単純にいって心地のいいものであった。
歯をくいしばって熱さに耐える、というようなこともなく、気のせいかもしれないが、お灸の後、目もとがさっぱりとしたような気もする。
まあ、目新しさも手伝って、ということはあると思うが、今のところ飽きることなくお灸ライフは続いていて、あの日買ったお灸は順調に数を減らしている。あと数回で在庫がなくなりそうだ。

……。
それにしてもあの店員である。
やたらと親切そうな顔をして店内を走り回ったり叫んだりしていたが、よくよく考えてみると、客に対する態度としては、大げさすぎるような気がしないでもない。レジ前に客を残していなくなる、というものいかがなものなのか。ひょっとしたら、あの日の仕事が終わったあと、

「なんか冴えないおっさんがお灸買いに来てチョーうけた」
「大きな声で呼んでやったら動揺してんのw」
「売れ残りのリラックマのライターもいっしょに売りつけてやった」

みたいなことを、SNS等で言いふらしているかもしれない。あの時、その可能性に何故気づかなかったのだろう。

「アノテンイン、イマゴロ、ボクノコトヲバカニシテワラッテルンダ」

……。
みたいなモードに入る前に、在庫を補充しに行こう。次は、「ちょっと強い刺激」のほうを買ってみてもいいかもしれない。